ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

雪の本丸

 以下に記す文章はすべて、こんな先輩がいたら実際に嫌だろうな……と思って書いたフィクションである。注意されたい。

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 2011年度、私の所属していた某部において、BOX(部室)に人が住みつくということがあった。出現頻度が高く滞在時間が長かった、といったことの比喩ではなく、BOXで寝て、BOXで食事を摂り、BOXで無為に時間を過ごし、本当に住みついていたのである。しかも三人も。
 一人は同期のGTM(2010年度入学)で、もう一人は後輩のNMI(2011年度入学)である。最後の一人はM氏(仮名)で、8月から12月まで住んでいた。2003年度入学であり、当時はとっくに仕事についたあとだった。
 当初、本稿ではこれら三人についてそれぞれ、できるだけ客観的な記録を残したいと考えていた。だが情報収集や執筆時間の制約により、M氏の事例に限定し、インタビューを基に私の個人的な思い出話を含めつつまとめることとした。あまり充実した記録とはなっていないのだが、某部の負の遺産特殊な記録の一つとしてここに残しておこうと思う。

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(1)BOX生活の始まりまで
 私が入学した2010年度、すでにM氏は社会人であった。最初の頃の率直な感想を言えば、「たまに部会後に現れる謎の人」であった。BOXに現れる目的はもちろん麻雀のためであり、M氏を含め先輩達の誘いにより純真な一回生達もだんだん第二部会に参加するようになった。後期に入ると、私の他にI氏やGTMと一緒に「赤い車」でドライブに行くこともあった。
 2011年度に入り、M氏の様子がやや変わったような気がしていた。というのもBOX滞在時間がやけに多く、しょっちゅう麻雀を打っていたり、平日に急にドライブに出かけたりしていたのである。「西に向かってドライブしよう」といってI氏を含め三人で「青い車」で出発し、なぜか長野を縦断しつつ咲の聖地を巡るドライブをしたこともあった。
 そして8月のある日。会社の休みをとった某氏の誘いに乗り、M氏とI氏は「青い車」で小樽行きのフェリーに乗り込んだ。会社への連絡はとらず。後に残った者たちは驚いたりおもしろがったりしていた。そしてM氏はそのまま会社に連絡を取らず、仕事をクビになったのである。M氏いわく「電波が通じないから連絡がとれなかった。仕方がない」ということだったが、やはり仕事に相当嫌気がさしていたらしい。北海道には一週間か二週間だか行っていたような記憶がある。
 当時M氏は実家住みだったが、北海道から帰って少しだけ実家に寄ると、BOXに入り浸り、そのまま住みつくようになった。仕事をやめて家族に申し訳が無く、失踪したかったとのことだった。それ以前にGTMやNMIが住みついていたこともあり、まあそんなもんかという感じで自然に受け入れられたような記憶がある。

(2)BOX生活最盛期
 BOXでの生活だが、圧倒的に多くの時間が費やされたのは麻雀であった。BOXにはいつもM氏がおり、あとたいていNMIもいた。そのため、あと二人揃えば自然と卓が立つ。私やGTM、I氏はそれなりの頻度でBOXにいたし、他にも何人か打つ人がいたのでメンツに困ることは無かった。授業前に少し時間を潰そうと思ってBOXに行くとたいてい麻雀が始まり授業に行けず、おかげで私もGTMも単位をほとんど取れなかった。M氏がここで編み出したオカルトの一つが「生活がダメだと麻雀もダメになる」というものである。「麻雀のために日常生活を犠牲にするのは全くダメ」で、「麻雀のためには働いた方がよい」とのことであった。社会人と無職の両方を経験している人の言葉なので、デジタル派の人にとっても一顧くらいの価値はあると思う。期待値の理論を振りかざし他者の気持ちを考えないような人間になってはどうにもならないのである。
 他によくしていたのはTVゲームである。特にプレイしていたのはshining force exaで、これの防衛線とかいうのをよくしていた。これはM氏にとっては重要らしいが他の人々にとってはよくわからなかった。あとM氏自身はプレイしていなかったが、四八という酷いクソゲーをSあたりがプレイするのをよく観賞していたらしい。
 あとはカラオケに行ったり、たまにドライブに行ったりして、楽しく毎日を過ごしていた。だが、一人になると家族への罪悪感もあって精神状態は厳しい状態であったらしい。
 個人的に印象的なエピソードの一つが、H氏が麻雀を打ちに来たときのことである。たしかもうこたつの出ている時期だったと思う。いつも通り深夜に打っていたのだが、その日は誰かが持って来たのか日本酒があったので、やや早めに切り上げて酒を飲みながら雑談をしていた。その時に初めてM氏が仕事をやめたと知って、H氏がすごい勢いで喜びはじめた。「Mさんすばらしいですよ!! 最高ですよ!! いや~~さすがMさん!!!」、「そもそもMさんが仕事してること自体おかしかったんですよ!!!」と大笑し、つまらない仕事を延々と続けて老後になってどうするんだという話や、どうすれば定職につかずに生きていけるかという話を熱心にしていた。この日のM氏とH氏の会話は今でも強く印象に残っている。

(3)BOX生活の終焉
 ある冬の日のことだが、Mさんのお姉さんがBOXにやってきたということがある。いつも通り深夜に打っていた我々の前に、一人の女性がやってきた。その女性こそM氏の姉君で、麻雀を中断してしばらく廊下で話してから戻ってきたM氏はどことなく神妙であった。これでついにM氏の行方不明も終了することとなった。実はその前にI氏の携帯にM氏の姉君から電話があったらしく(登山計画書かなにかを見たのだろう)、その時I氏は適当にはぐらかしたそうだが、やはりBOXが一番怪しいと思われていたのだろう。なんとなく、これでM氏の無職生活も終わるのかなと、そんな気がした。
 M氏がBOX生活で一番印象に残っているエピソードは、大晦日の前日のことであるらしい。その日M氏は、一人でBOXで過ごしていたところ、深夜に唐突にGTMが現れた。飲み会帰りで、色々と思うにまかせぬようなことがあった状態だったらしい。相当酔ったまま、M氏の横でこたつの中に潜り込んだ。と、しばらくすると、いきなり炬燵布団と上の机をはねのけて外に出てきた。自分で入ったにも関わらず「暑い暑い! 俺はなんでこんなところにいるんだ!!」と騒ぎ、あまつさえ「恋が市民革命している」などと意味不明の発言を続け、M氏のヘルプによりI氏が現れる事態となった。理由はよくわからないが、この事件がM氏にとってある種の転機になったらしい。大晦日もBOXで過ごすつもりだったM氏だが、GTMが暴れる姿を見てなぜか「このままじゃいかんなぁ……」と強く思ったとのことだった。このことを考えると、GTMはM氏が社会復帰できた点において少しは感謝されて良いのかもしれない。
 大晦日の日。帰省もしておらず特に理由もなくBOXを訪れた私の目に入ってきたのは、部屋を片付けるM氏と、ずいぶんきれいになったBOXの風景だった。M氏がついにBOXを出て実家に帰ると知った私は、なんとなく予想していたことではあったが、やはり多少の驚きはあった。その日、happyとIさんと、なにかの用事で比良さんがいた。happyと比良さんとなぜか京大wallに行ったあと、BOXで麻雀を打ってみんな別れた。そしてこの日を最後に、M氏はBOXを去ることになるのだった。

(4)その後
 私事だが、この年の私は精神的に無茶苦茶な時期で、ろくに学校にも行っておらず、沢かBOXに入り浸る時間が長かった。そういう時期に、社会に参加するためにBOXを出ていくM氏を見ると、やはりこのままじゃいけないんだなと、身につまされる思いだった。先を見なければならないんだなと思った。もっともM氏がそれから就職するまではまだ八カ月くらいかかったし、私はまだまだまともに学校に行かなかったわけだが。その後、M氏が我が家に数十箱のダンボールを運び込んだりいろいろあったわけだが、そこらへんは省略する。詳しい話は本人に聞いてみてほしい。
 先日、龍門でM氏やH氏を含むOBや現役と飲んだ時に、いつも通りにハイテンションのH氏が「若者は辛くなったらM氏を見てほしいね。なにがあったってこうやって生きてるんだからさ!」、「M氏がなにしようがもう誰も驚かないっすよ!!」とおっしゃっていたのが印象的だった。まぁ、仕事をやめてBOXに住む人が何人も現れては困るのだが、心の片隅に「なんだかんだ生きていける」という思いを持ち続けるのは、世知辛い現代社会において大切なことなのかもしれない。
 最後にM氏の発言を載せておく。「BOX生活はもうしたくはない。それでも仕事はやめて良かったと思う」。