劇的なコメ
この間様々なことがあった。
まず、沢に行くという事件があった。久しぶりに沢に行きたいな~とか普段から言っといてなんだが、後輩から実際に誘われて山行が現実味を帯びてくると途端にやる気が無くなってしまう。申し訳ない話ではある。結局行く。
後輩3人と南紀某所に行く。私にとっては久しぶりの沢ということで、かなり怖がって1級の沢にしてもらったが、実際登ってみるとさすがに簡単すぎて申し訳なかった。でもまあ所々きれいなところもあって良かった。私がよく沢を登っていた時代には、乾いた岩の登攀とルーファイ全般だけは人並みにできる一方、その他全般(ぬめった岩の登攀、草付き壁の登攀など)が苦手という感じだったが、今回登ってみた感触として、その他の方が衰えているなという感じだった。ボルダリングジムでは濡れた課題や泥まみれの課題が無いので仕方がないと言える。
この沢は10年ほど前、真冬に同期二人と共に遡行した場所である。その時は中盤の見どころを過ぎたあたりで、
「寒すぎてこれ以上は危険かもなぁ(寒くてだるいしもうやめようぜ)」
「この先どうなるかわからないし、引き返した方がいいかもな(この上も大したことないだろうからさっさと降りよう)」
といった深い作戦会議を経て沢を下降した記憶がある。
さて、南紀の冬の沢登りだが、本番は下山後であると言える。かつて沢登りの先輩であるHさんが、
「蓮川の沢を登りに来ると言うより、もはやスメール(温泉施設)に来るのが目的となっている」
とおっしゃっていたが、冬の南紀では下山後に近くの温泉に入り、新宮に降りるのが目的と言っても過言ではない。新宮は閑散としているが暖かく平和で、好きな場所だ。暗くて狭い沢を終えて海沿いの開けた新宮の町まで来ると、平和って良いなぁと沢メンなら全員思うわけである。好きな場所の割に沢の帰りにしか行かないので、あまりちゃんと町を巡ったことがない。今回は念願の?熊野川河口に行けたので良かった。勝手に砂利が広がる河口を予想していたが、思ったより石っぽく、工事が進んでいた。
昼食は徐福寿司に行ったがなかなか良かった。「徐福店」と書いてあったので和歌山で展開しているチェーン店か?と思って訪れたところ、徐福公園の近くに二店だけ展開しているらしい。ちなみに徐福というのは、秦の始皇帝に不老不死の薬を持ってきますとか言ってそのまま行方不明になったという謎の人物であり、なぜか和歌山にたどり着いたという伝説が残っているために公園があるのである。徐福公園には、人間は徐福のように立派な業績を残さなければならない云々という碑文があるが、徐福のどこらへんが高く評価されているのかは謎である。本当に秦から和歌山までたどり着いたならすごいことではあるけど。
8月に受けた某試験の結果が発表され、合格していた。やはり良い席を引いたのが一番の勝因だと思われる。一次試験と違って得点がよくわからなかったので、さすがに安堵した。数年後の転職も視野に入れて就職先を決めたが、吉と出るか凶と出るかは謎である。まあ、これまでの経歴も大概行き当たりばったりだったので、あまり予想通りにいくことは期待しがたい。
他にも東京に行ったり家族が京都に来たり色々とあったが、もう疲れたので適当な写真を貼っていったん終わる。