ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

案内者

 12月中頃にblogを書こうと思い、お正月休みが始まったら書こうと思い、休みが終わる前に書こうと思い、もう年も明けて仕事も始まってしまった。時の流れというのは恐ろしいものである。皆様も気を付けてほしい。

 

 この間様々なことがあった。12月中旬には東京で謎の国との国際会議があり、その準備をしていたが相変わらず嫌な仕事であった。やることは主にプレゼント交換の手配とか部屋のグレードの決定とか肉が良いか魚が良いかとかそんなんである。肝心の会議自体は、私に対する質問は他の人々が代わりに勝手に答えていたので特になにもなかった。途中で飽きて窓の外を眺めたりしていた。毎日夜遅くまでディナーパーティーで、むしろそちらの案内のほうがきつかった。どれだけ長時間いても残業代が出ないのが悲しい。

 あとは忘年会と、最終日のワイン会の手配をしたりしていた。忘年会はともかくワイン会とはなにかというと、会社の偉い人が最終日に会社にワインを持ち寄ってみんなで飲もうぜと言い出し、その事務局を部署の先輩と一緒にやることになったものである(謎のワインパーティーに参加したせいで目をつけられている)。この準備が異常に大変だった。役員二人はなんか良いワインを持ってきたらしく、色々解説していたが、覚えているのは二年前に死んだすごい職人が作ったワインなのだ、という話だけである。泥酔して暴れる人が現れたり「早くこんな会終わらせようぜ! とりあえず叫んで終わらせてくれよ!」と言い出す人がいたりして荒れていた。そろそろ終わりか――というところでなぜか秘書たちが現れたために仕切り直しとなり、結局11時過ぎまでやっていた。疲れはて、ついに正月休みや――と思って家に帰ると、ガスが止まっていたので絶望した。状況を鑑みるにどうやらガス料金を払っていなかったせいで止められたらしい。10月の出張直前にも止められたのだが、ガスを止められると大変もの悲しい気分になる。皆様もくれぐれも気を付けられたい。

 

 4日と5日の有給休暇取得に成功したので、8日まで延々と休みであった。なんやかんやあって実家に帰り、特に何事もなく新年を迎えた。大晦日、友人と観音様にお参りに行ったところ人がたくさんいたので代わりに中華料理屋で年を越すこととして、行ったら閉まっていたのでやむを得ずコンビニに向かっていたところ年が明けていた。めでたい。

 京都にも少し寄った。裁判官になった同期のお祝いという名目だが、単純に京都で飲みたかったというほうが正解に近い。味〇で飲んだりしたあと、部室でしっぽりと朝7時まで飲んでいた。外は寒く、雪が軽く積もっていた。よい会であった。

 他にもいろいろあって毎日へらへら過ごし、火曜日に久しぶりに出勤すると、さすがに年があけて一週間もたっておりみんないつもの調子を取り戻しており、周囲は電話をたたきつける音やキーボードを殴る音、変な溜息なんかでにぎやかであった。

 

    2017年はそれなりに色々あった。仕事に関しては思ったよりハードだったが、思ったより慣れた、といった感じである。なんらかの知識や技術はあんまり必要とされず、気合とか気遣いとかが要求される場面が多いというのもやや意外だったところである。自分の仕事ぶりの評価をしてみると、ボケだがまぁまぁがんばっている、というところだろうか(自分でがんばっていると言うのも気が引けるが)。

 プライベートも激動であった。様々なことがあったが総合的に見るとよかった。よい一年であった。今年もよい一年になるとよい。今年も気が向いたときにblogを書いていきたい。