ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

猫の墓

 1個上のN様が大学をやめて故郷に帰られるとのことで、今日は引っ越しの手伝いをしていた。N様の家は吉田山の稜線の近くにあるので、吉田神社の鳥居をくぐって階段を登り、境内を突っ切って行く。標高が高いだけに景色は良く、曇りだったが西方の山々や平安神宮の鳥居やどっかの五重塔も見えた。こんなところに住んでたらきっと楽しいだろうなと思うが、酔っぱらって帰宅するときは苦しそうではある。

 僕や後輩が手伝いに行った時にはまだ全然片付いておらずN様は絶望した顔をしており僕も少し絶望しかけたが、結局なんとかなった。お礼にダンベルとプロテインをもらった。お別れ会ということでみんなで飲みに行く。N様とは6年間の付き合いで、大学に入ってから一緒に時間を過ごした人ランキングで多分2位になるだろう。1個上の先輩はN様しかいなかったのでお互いどう思おうが深く付き合わざるを得なかった。無論僕にとっては良かった。異常な後輩ばかりでN様には迷惑しかかけていないように思う。どうもすみませんでした。次は西表島の海岸とかで会いたい。

 

 京都に越すときに親からやたらスースーするリンスをいくつかもらい、押入れにしまったまま全然使っていなかったのだが、去年のいつからかそこそこ使っている。このままだと下宿を出るまでに絶対使えきれないと思ったのだ。また、同じく京都に越すときにもらった固形石鹸なんかも最近は積極的に使っている。歯磨き粉とかも無駄に歯磨きの回数を増やしたりして無駄に使ってる。歯ブラシや掃除機のパックなんかは使いきるのはもうほとんど不可能だと思われる。

 そう、入学した時にはほとんど想像もできなかったことだが、いよいよ卒業が現実的なものとして見えてきた。卒業したら大体みんな京都を出ていくし、自分も残るビジョンはあまり無い。全国から人が来て全国に散っていくこの感覚は、他の大学だと案外そんなに無いかもしれない。自分は無駄に感傷的なので余計それを感じるのだろう。終の棲家となりがたく、仮の住処であって訪れる場所であるからこそ京都は良い町と感じる面もあるかもしれない。生粋の京都人がどう考えているかはあまり知らない。

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過去の匂い

 さっき家に帰ってきて寝た時のことである。夢のなかで僕は同期のMTと変な喫茶店に来ていた。どっかの雑居ビルの中の店のようで、内装はかなりぼろく、汚かった。ところがコーヒーが1,500円もするということを知って驚いた。横のMTを見るとケーキなど食べており、コーヒーが1,500円ならケーキセットは3,000円くらいするんじゃないかとびびった。その旨を奴に言うとかなり困惑していた。なんでも最近は賭けテトリスに負けまくっているせいで200万円くらいの借金があり、かなり厳しい状況であるらしい。賭けテトリスというものがあることをこの夢で初めて知った。

 そんなMTだが、この前ついに京都を去った。なんとなくこのまま大学をやめる気がするし見送りに行こうかと思ったが、あんまりべたべたするのもキモいし眠かったのでやめた。代わりにメールで四文字だけ送っておいた。

 

 先週、調査のために神戸に行ってきた。せっかくなのでついでに中華街に寄ったが、中華料理屋がいっぱいあるだけでいまいち面白くなかった。ルミナリエとかいうのは無かったし他にどこが名所かわからなかったので、とりあえず近くにあるメリケン公園というところに行ってみたがコンクリートと海があるだけで意味不明だった。そこまでで疲れて帰宅したので神戸はしょぼいという印象が残った。下調べはちゃんとしておいたほうがよい。

 

 月曜日には東大の偉い教授を我が大学に招いて講演会があった。先輩のridge氏が去年6月の鹿児島の研究会でその教授に「京都来てくださいよ~」と(酔っ払いながら)言ったところ、「うまい酒があるなら良いですよ」とのことで本当に実現することとなった。だが、その教授が酒と食事に関しては非常に厳しい人で、酒や懇親会の準備にとても苦労することになる、というのはだいぶ後になってからわかったことである。

 

 他にもそれなりに様々なことがあった気がするが、概ねろくなことが無かったのでもう終わる。

 

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下宿

 同期のMTがもうすぐ中国地方某県の実家に帰るとのことで、日曜日に引っ越しの手伝いをした。奴は三留が確定しているが、なんでも来年度からは実家から大学に通うらしい。留年を親に伝えるにあたっては通称『N式メソッド』を使ったとのことだった。すなわち、「卒業はできるよ」→「多分大丈夫だよ」→「もしかしたらやばいかも」→「だいぶ厳しいかも」というように段階的に匂わせることで留年のショックを和らげるというメソッドだが、最終段階(成績開示)の一個前の「多分卒業できなそう」と伝える段階で普通に親に激怒されたので結局なんの意味も無かったらしい。

 実家には置いとけないとのことで同人誌等の入ったダンボールを三つ預かることになった。まぁ茶碗氏がエロ本が満載されたダンボールを15だか20だかうちに残置したのに比べれば大したことの無い量ではある。地代としてビールを大量にもらう予定だ。

 

 この前の木曜日、やたらと晴れていたので下鴨神社まで行ってきた。ここにはもう何度か来ており、別に特段好きというわけではないが近所なので散歩のついでに寄るにはちょうどいい。あとお金をとられないのもいい。相変わらず平和な感じだった。鴨川のほとりも歩いた。桜の季節がきれいだが、冬の閑散とした感じもよい。冬の鴨川の風景は大学受験のために京都に来たときにも気に入ったようで、その時に撮った写真が残っている。京都は空が広いのが良い。大作の功績の一つかもしれない。

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 もう京都に来て6年がたとうとしている。卒業する頃には7年が経過するはずであり、まともな大学生が4年で社会に出ていくことを考えるといかにも長い。色々あったが結局は京都の居心地が良かったのが敗因だろう。だからまぁ、良かったと思う。

火鉢

 この前の土曜日に某t大の院生が研究室にやってきた。某r学会の若手会とかいう謎の会の事務局をなぜか僕がやることになったのでその引き継ぎのためである。うちの大学はこの学会であまり評判が良くないと思う。この前の学会発表で一番おもしろかったのはridge先輩の発表で、そのなかで某研究所の人をボロクソに言っていたわけだが、ちょうどその人がフロアにいたので司会がコメントを求めた。その人はまぁ大人なので平和な返答をして、司会が「納得できましたでしょうか」と聞いたところ、それに対するridge先輩の返答が「あなたはそういうコメントをするだろうと思っていました」だったのでめちゃくちゃ面白かった(文章にすると何が面白いんだという感じだが……)。他にも頭のおかしいドクターが異常な言動をするし僕自身色々やらかしたり、色々あってこの大学は異常だと思われている気がするが、若手会ですごい振る舞いをすれば汚名返上のチャンスである。むしろ汚名をどんどん挽回するくらいの強い気持ちでいきたい。

 せっかくなのでその人に大学の中を案内した。時計台の資料室は初めて入ったが案外面白かった。戦前のファッションや部屋の様子が展示されてるのが良かった。あとは3秒で終わったという伝説の入学式の映像が流れてたりする。久しぶりに寮のほうにも行ったが相変わらず壊れそうだった。以前はヤギやニワトリがいっぱいいたのだが全く見かけ無かった。全部死んだのだろうか。猫は健在だった。

 

 今日は某機関の委託調査の手伝いでmar研究室の人たちと滋賀県某所に行ってきた。一緒に調査した某研究員がさっそく海外のjournalに一本通ったらしい。謝礼としていくらかもらうのですべて洒落乙なビールに変換する予定である。

enigma

 あっちで調査したりこっちで発表したり暗い闇の底で初めて小さな光を知ったり色々あった。

 最近は心ならずも就活を少しだけしている。本当は博士後期課程まで行ければ良かったが、頭が足りないので仕方がない。一部だけ見ると大したこと無いドクターもそれなりにいる気がするが(失礼!)、レベルの高いところのゼミに通ってみるとやはり世界標準レベルの頭脳が無いとこれから生きていけないなと思う。毎日パソコンをいじって論文を読んだり数字をいじったりして愉快に暮らせれば気楽なものであるが、それに対してお金を出してくれる人を見つけなければいけないのだから状況は厳しい。結局修士で研究が終わることになったが、それなりに意味はあったと思う。やはり学部だけではなかなかアカデミックの世界に触れられないし、もし学部卒で就職していたら一生悔んでいただろう。いつか社会人ドクターとかでまたこの世界に戻って来られればいいなと思う。漠然と。

 そういえばこの前、二年前のエントリに☆がついていたので久しぶりに読んでみたところ、案外良かった。痛々しい感傷性などが表に出ていて大変気持ち悪かったが、それなりに自分の考えらしきものが記されている点が良いと思った。翻って最近の文章を読み返してみると、自分の考えが偽装されすぎており読み返しても自分が何を考えてるのか意味不明という有様である。あんまり率直なことを言うと傷つく人がいるかもとか、あんまりネガティブなことを言うとさらにネガティブな人間になってしまうなどの理由がありそれもそれなりに大切なことだとは思うけど、あんまりにもあんまりである。だからといってこれからは本音バリバリで炎のガチンコblogでいくというわけでは無いが、そう考えたということは記録しておこうと思う。