ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

古代の豊かさ

 命ある限り沢メン魂を世に広めることを決意し、爽やか沢メンとしての誇りだけを持って東京に出てきて一年。読者諸賢のご存知のとおり夢は破れ、心は千々に乱れ、頭はおかしくなり、体重は激減し、白髪が生え、先週は胃腸炎となった。
 そんなわけで、いつ東京を去ってもあんまり名残惜しくないよう、関東の色々な場所になるべく行っておきたいと思っている。先週月曜日は有給で休みだったので、ヤマノススメの舞台である飯能に行ってきた。まずは駅の観光案内所に寄ったところ、そこのおじさんに「そこにヤマノススメポスターがあるんじゃよ」などと言われ、舞台巡りのおたくであることがばればれであるようであった。町は3年前に行ったときに比べてパネルの数が激減している気がしたが、あとで調べたら月曜日休みのお店が多いせいもあるようだ。なんにせよ三期が楽しみである。OVAをまだ見てないけど……。

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 私の所属していた部署は社内で無茶苦茶な扱いを受け続け、このたびついに部署分割の憂き目にあうこととなり、私自身も意味不明な所属になることとなった。新天地では命ある限り沢メン魂を発揮していきたい。例えそこが、草がすぽすぽ抜ける草付き壁であったとしても。
 考えてみると昨年度に沢に行ったのは、夏休みに日帰りで登った一本だけである。今年は詰めあがった瞬間に胸が熱くなって、下山後に疲れはてながらビール飲んでへらへらできるような、そんな楽しい遡行を一度はしたいところである。

 なによりこの晴天の下での砂浜麻雀。
もう麻雀がインドアスポーツであるなどとは言わせない。
 ××××の名に懸けても、麻雀がれっきとしたアウトドアスポーツであるとここに宣言する。
 「打ってないやつはだまってろ!」
とにもかくにも、西表合宿中最高の環境、類い稀なる好天の下での対局開始と相成ったのである。

断水の日

 そういえば正月休みが終わる前に、研究室時代の先輩に誘われて山梨でキャンプしたのであった。なんで山梨かと言うと先輩が山梨で働いているからである。なんで真冬にキャンプするかと思われるかもしれないが、寒い中で焚き火にあたるのはそれはそれで味があって良かった。昼頃にキャンプ場に着きさっそく飲み食べ始め、そのままシームレスに夜まで飲み食べ続けた。先輩がスペアリブの骨を焚き火に放り込みながら、「骨は燃えるよ。最近葬式で燃やしたから知っている」と、おっしゃっていた。

 最も不安だったのは夜の寒さであったが、下は5枚、上は7枚とか着て寝袋も3枚使ったのでさすがに快適に眠れた。翌朝焚き火のあとを片付けていると、先輩が石のかけらのようなものを拾い上げ、「これは骨だな。ここが脊髄。こういうふうに燃え残るんだ。最近葬式で燃やしたからわかる」と、おっしゃっていた。その後は洞窟を見て解散した。

 ところで自分はキャンプとかバーベキューは嫌いではないし楽しいと思うけど、あんまり自分から行く気がしないのは、それならもうちょっとがんばって山に入ったらもっと楽しいのに……と思うからである。より具体的に言うと沢沿いの焚き火がなによりも好きである。

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 先日、近所の小石川植物園に行ってきた。寺田寅彦の「どんぐり」の舞台となったところである(参考:http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/827_13489.html)。

 園内は整然と植物が並べられているというわけではなく、適当に植物が散らばっていて広い公園のような感じで良かった。冬の木は好きである。楽しかった。いろんな季節に行ったら多分いろいろ楽しいんだろう。

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 今日スーパーに行ったらすじことかローストビーフとかいろんな食材に「恵方巻に入れよう!」みたいな札がついておりなんでもありかという感じだったが、さらには豚肉にも「恵方巻と一緒に豚汁を食べよう!」という札がついておりいよいよ自由自在の様相を呈していた。

 私の通っていた某k大の横には神社があり、節分には盛大なお祭りを開催していた。大学の前の道路も屋台で埋め尽くされ、構内にもその煙が入り込んでくる激しさであった。基本的に私はあんまり祭には行かないが、この節分祭に関してはテストがちょうど終わる時期というのもあって結構好きだった。部室で昼間から麻雀を打ったりこたつで寝たりしてだらだらしていると、なんとなく祭をやっているようなのでみんなで繰り出し、ちょろっとなんか買って、人大杉やねんとか言って帰ってきてあとはまた部室でだらだらするのである。節分には一度同期の男が部室に豆を持ってきたが、掃除がめんどいという理由で豆まきに反対を受けたので袋のまま投げており、特に風情が無かった。

案内者

 12月中頃にblogを書こうと思い、お正月休みが始まったら書こうと思い、休みが終わる前に書こうと思い、もう年も明けて仕事も始まってしまった。時の流れというのは恐ろしいものである。皆様も気を付けてほしい。

 

 この間様々なことがあった。12月中旬には東京で謎の国との国際会議があり、その準備をしていたが相変わらず嫌な仕事であった。やることは主にプレゼント交換の手配とか部屋のグレードの決定とか肉が良いか魚が良いかとかそんなんである。肝心の会議自体は、私に対する質問は他の人々が代わりに勝手に答えていたので特になにもなかった。途中で飽きて窓の外を眺めたりしていた。毎日夜遅くまでディナーパーティーで、むしろそちらの案内のほうがきつかった。どれだけ長時間いても残業代が出ないのが悲しい。

 あとは忘年会と、最終日のワイン会の手配をしたりしていた。忘年会はともかくワイン会とはなにかというと、会社の偉い人が最終日に会社にワインを持ち寄ってみんなで飲もうぜと言い出し、その事務局を部署の先輩と一緒にやることになったものである(謎のワインパーティーに参加したせいで目をつけられている)。この準備が異常に大変だった。役員二人はなんか良いワインを持ってきたらしく、色々解説していたが、覚えているのは二年前に死んだすごい職人が作ったワインなのだ、という話だけである。泥酔して暴れる人が現れたり「早くこんな会終わらせようぜ! とりあえず叫んで終わらせてくれよ!」と言い出す人がいたりして荒れていた。そろそろ終わりか――というところでなぜか秘書たちが現れたために仕切り直しとなり、結局11時過ぎまでやっていた。疲れはて、ついに正月休みや――と思って家に帰ると、ガスが止まっていたので絶望した。状況を鑑みるにどうやらガス料金を払っていなかったせいで止められたらしい。10月の出張直前にも止められたのだが、ガスを止められると大変もの悲しい気分になる。皆様もくれぐれも気を付けられたい。

 

 4日と5日の有給休暇取得に成功したので、8日まで延々と休みであった。なんやかんやあって実家に帰り、特に何事もなく新年を迎えた。大晦日、友人と観音様にお参りに行ったところ人がたくさんいたので代わりに中華料理屋で年を越すこととして、行ったら閉まっていたのでやむを得ずコンビニに向かっていたところ年が明けていた。めでたい。

 京都にも少し寄った。裁判官になった同期のお祝いという名目だが、単純に京都で飲みたかったというほうが正解に近い。味〇で飲んだりしたあと、部室でしっぽりと朝7時まで飲んでいた。外は寒く、雪が軽く積もっていた。よい会であった。

 他にもいろいろあって毎日へらへら過ごし、火曜日に久しぶりに出勤すると、さすがに年があけて一週間もたっておりみんないつもの調子を取り戻しており、周囲は電話をたたきつける音やキーボードを殴る音、変な溜息なんかでにぎやかであった。

 

    2017年はそれなりに色々あった。仕事に関しては思ったよりハードだったが、思ったより慣れた、といった感じである。なんらかの知識や技術はあんまり必要とされず、気合とか気遣いとかが要求される場面が多いというのもやや意外だったところである。自分の仕事ぶりの評価をしてみると、ボケだがまぁまぁがんばっている、というところだろうか(自分でがんばっていると言うのも気が引けるが)。

 プライベートも激動であった。様々なことがあったが総合的に見るとよかった。よい一年であった。今年もよい一年になるとよい。今年も気が向いたときにblogを書いていきたい。

写生紀行

 写真を整理していた。メモがてら簡単に写真とその記録を載せておこうと思う。

 

〇 3月15-17日
 卒業間近に、一人で長野に二泊三日で行ってきた。一応卒業旅行というのにあたるのだろうか。特に目新しいところには行かなかったのだが、とても穏やかで楽しかった。自分はやはり山の見える景色が好きなんだなぁと思った。

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↑ 浅間温泉の栄〇湯。とにかく古い建物で、居心地が最高であった。温泉自体は小さいけど部屋が好き。酒飲んでDVD(けいおん!の映画)見てた。

 

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↑ いつもの松本城。お城と山っていいよな。

 

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↑ 長峰山。某麻雀漫画の舞台であるところ。北アルプスがきれいだった。

 

〇 3月21-22日

 21日に荷物が搬出され、22日に下宿を出たのであった。この間のことは以前に書いたが、21日に後輩と某味〇で飲み、がらんどうの部屋に帰ってきて一人で酒を飲んでいると、後輩たち三人が訪ねてきてやたら嬉しかった。

 自分でもこの弱々しい感傷性はどうかと思うのだが、いまだにこの下宿のことをたまに思い出して、あそこは大変に居心地が良かったなぁとか考えたりする。

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↑ 出発前日の夜。酒飲んでインターネットして、スマホFF7してた。

 

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↑ 出発の朝。日がよく入る一階の部屋だった。

 

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↑ 鴨川が近所だった。

 

〇 11月3-5日

 諸事情により京都に帰っていた。楽しかったり悲しかったり色々あった。

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 最近は様々なことがあったが、ブログに書くことでもなさそうなことも多かったので省略してしまう。とりあえず仕事については小康状態という感じがするが、たまによくわからないこともある。最近もっとも意味不明だったのはワインパーティーの件である。ある日上司が私に「〇日の定時後は空いているか?」と聞いてきたので、はい、と答えたところ、後日謎のワインパーティーの案内が送られてきた。意味不明だったのだが、どうやら役員のお付きで出席するように手配がなされていたらしい。下っ端なのでそんなのばっかである。皆様も上司に唐突に予定を聞かれたときはくれぐれも気を付けられたい。

ねずみと猫

 木曜日に出向者の先輩と二人で深夜残業をしていると、唐突に先輩が「おめでとうな」と言った。一瞬なんだろうと思ったのちふと時計を見ると日付が変わっていた。誕生日であった。今まで誕生日自体についてこれといった記憶が無いのだが、職場で迎えたことで、また、その後なぜか四時前まで仕事していたことも含めて、印象に残る誕生日となった。

 四時前まで働いてたことがトリガーとなったかは不明だが、金曜日は出張の代休で家でのんびりしていた私に、直属の上司から「今後は深夜残業を厳しく制限していく」という割と厳しめのメールが届いた。それを見て、困る、と思った自分を発見して驚いた。あれほど長時間残業にうんざりし、とにかく仕事を減らしてほしいと思っていたにも関わらず。制限時間を超えた分の残業時間がちゃんと計上されなくなったり、あるいは任せられた仕事を終えられないと他部や役員から怒られるのは自分であるという理由があったりするにせよ、おそらく多少は仕事の割り振りが減るはずなのに。不思議な感情である。何を言う。何を言う。何が不思議かねお前はそういう長時間残業の状態を結構楽しんでいたのではないかね。長期間に渡る仕事を終えて部長に一言お疲れさまでしたと言われた時、あるいは海外出張を終えて家に帰ってきて床に寝転がった時、誇らしい気持ちにならなかったかね。自分を周りよりも正しくがんばっているものとして密かに自負していただろう。そして長時間残業が正義であるという風潮の再生産に貢献していたのではないかね。いえいえいえいえいえ。私が長時間残業を肯定しているように見えるのは、一種の自己防衛である。すなわち先輩方の「長時間残業をこなすことで成長できるんだよ」という言葉を信じ込む演技をすることで、苦しい労働に耐えられるように自分に対して偽装していたにすぎない。そのうち仕事をやめる時が来たら長時間労働についての文句も伝え、会社の労働状況を変える一助にするつもりであるよ。いやいやいやいや。ところがどっこい。まぁまぁ。様々な意見があるであろう。本当の自分などというものはどこにも無いか、もしくは無数にあるのである。

 

 はてなブログ開設から四年が経過しましたというメールが届いた。四年前。「お前の好きなようにやったらええやん!」などという言葉をたまに思い出したりする。

 このブログを作ったのは、さかこ氏のブログが面白く、真似したいと思ったからであった。ハイマツ帯というタイトルは、なんか山関係で面白い単語をタイトルにしようと思って、なんとなく浮かんできた言葉である。ハイマツ帯というのは遠くから見ると割ときれいだが、実はその中を藪漕ぎして突破しようとすると異常に苦しい。私のいた部活では道の無い尾根の藪漕ぎをして知床岬まで到達するという合宿をたまにするが、その中のハイマツ帯には時速100mしか進めないという「伝説の藪」が存在する。

 適当につけたタイトルだが、その後割と気に入った。きつい藪をがんばって進んでいって、その先には何があるかというと徒労にも似た達成感だけなのだが、確かに何かしら得られるような感じはする。しかしこの四年間がんばって藪を越えてきたかというとそんなこともなく、基本的にいつも自分の心の平穏を守ることを優先していたのだった。難しい沢に行って厳しい環境に身を置くことにすら、楽しく平和な日常を改めて確固たるものにするという強い理由が存在していたのだった。

 ともかく、ブログをやっていていろいろなことがあった。楽しい。なのでブログをやっていて良かった。