ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

半日高堂ノ話

 仕事などというくだらないことばかりしているせいで段々馬鹿になってきて、これといって考えがまとまらないし記憶もぼろぼろ抜け落ちていく。とりあえず思いつくことを書き残しておこうと思う。

 

〇結婚式

 少し前、大学時代の部の後輩である発秘が結婚式をあげると言うので行ってきた。発秘は一個下の後輩だが、まじめな男なのでまじめに進級し、私と同時に卒業していた。就活の際に「先輩方にまともに就職している人が一人もいないのでなんの参考にもならないですね」などと言っていたのが印象的だ。そんな良い奴なので、まぁ結婚するのもさほど違和感は無いと言っていいだろう。

 結婚式前夜は、0次会ということで本人抜きで麻雀を打ってお祝いしておいた。当日、会場に入り、部の奴らがスーツを着て集まっていたわけだが、こいつらがスーツだとかなり違和感がある。着て集まる機会と言えば葬式・法事か結婚式くらいのものだが、どちらかと言うと前者の方が縁のある連中のようだ。

 肝心の式だが、適度に良い感じになりつつ、適度にいたたまれなくなるようなところもあり良かった。ただ、神父が出てきて一通り儀式したあと、後輩の倫理学かなにか専攻しており自称キリスト教にも詳しい男が、完全にエンタメ化された式ですね。僕ならラテン語で完全なキリスト教の形式に則った式にしますね。などと言っており気味が悪かった。

 また、部屋の窓の向こうに池があり、お色直しのあとにそこから新郎新婦が舟に乗って現れるという謎の演出があって良かった。沢メンの鏡である。ただ、飾ってある写真のうち我々の部のものがやたら少なかったり、スライドショーで大学時代の思い出として取り上げられる割合が少なかったり、親御さんから「入学直後に部の装備として5万円必要と言われてびっくりしましたね」、「あまり危険なことには誘わないでほしいものですね」などと言われたりしたせいで部の連中は完全に拗ねてしまい、「俺たちはあまり招かれざる客のようだな」「一緒に写真を撮るのは遠慮しておこう」などと言っていた。二次会で寄せ書きを渡しておいた。なにはともあれおめでとうございます。三次会として部室で本人抜きで打ってお祝いしておいた。

 ところで、結婚式に来ていた私の同期が来年仕事を辞めることが確定しているとのことだった。また、後輩の男も来年中の退職を検討中とのことで、かくいう私も来年春までに退職したいと考えている。三人みんな辞めたら結婚式とまではいかなくてもお祝いしたいところではある。とりあえず、いつかやると言ってそのままになっているちょうちん杯(18半荘打つだけである)を開催したいところだ。

 

〇沢

 今、ヤマノススメセカンドシーズンを流しながら書いている。山に登りたい。山も良いが沢に登りたい。沢登りの魅力として、シャワークライミングしてガシガシ滝を登ったり、静謐な淵を泳いだり、ひたひたとナメを歩いたり、ヒルをひっぺがしたりと色々ある。自分は、それらのミクロな要素の集合というだけでなく、沢という危険な空間に入り、わちゃわちゃと悪戦苦闘して、無事に戻ってくるプロセス自体が好きである。古来からの神話のパターンのように、もしくは千と千尋のように。だから難しい沢に入って、そこまで登り方にはこだわらない方である。生きて帰ってくればこっちの勝ちである。そんなわけで自然との一体感を感じるどころか異世界に入っていくような、そんな強烈なキャラクターを持った屋久島の沢が大好きである。行けばわかるさ! まあ、むろん全部の沢に対してそういうスタンスというわけではなく、ただ滝を登ったり自然林の中をふらふらしたりするのが楽しい沢もある。

 というわけで、冬だけど沢に行きたい。当該エリアが晴れで、最高気温が14℃以上ある日であれば、冬でも割と遡行できると思う。特に14℃という数字に根拠があるわけではないが、個人的な経験によれば大丈夫である。最高気温10℃とかだとだいぶきついと思う。

 

〇資産

① つみたてNISA

eMAXIS Slim 全世界株式(除く日本):100%

合計投資額:72,000円

時価評価額:77,801円

 

② iDeCo

楽天・全世界株式インデックス・ファンド(楽天・バンガード・ファンド(全世界株式)):100%

合計投資額:56,444円

時価評価額:59,776円

 

③ 純金積立

合計投資額:44,260円

時価評価額:43,972円

 

・今年から投資を始めた。完全なる初心者である。

・現在は毎月、積立NISA12,000円、iDeco12,000円、純金積立8,000円で運用している。

・基本的な発想は、そんなに資産が大きく成長しなくても良いけど、全部日本円の貯金で持っているリスクは避けたいということである。

・日本円での貯金は別途するのと、日本国債日本株にあんまり期待できなそうなので、外国株式メインで運用している。もう少しバリエーションをつけたいとは思いつつ、めんどくさいので手をつけていない。外国株式についてはそれほど遠くない未来に一度くらい大きく落ちそうな気がするが、20年後にある程度安定していればそれで良いということでのんびり見ていきたい。

・経済がぼろぼろになったとき用に純金も積み立てている。まぁ最近では株価と純金価格が同時高のケースもそれなりにあるが……。買付価格が売却価格(評価額)より少し高く設定されているので、円建の価格が変わらず推移したとしても、一定の割合でマイナスになる。また、金利もつかないので、基本的には守り用の資産である。

 

〇散歩

 せっかく京都にいるので、ちょくちょく散歩に出かけている。ちょっと前まで紅葉の時期で人がわらわらしていた。

 

木野駅の近く。なんか暗くて不気味な土地だった

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↓夜の東京・護国寺RPGのステージ感があって良かった

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京都御苑には何度も散歩に行っているが、御所の中に初めて入った

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↓かわ

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清凉寺。紅葉時期なのに比較的静かでいいとこだった

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↓なんか西の方。野焼きで煙ってた

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↓なんか西の池

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南禅寺の近くの疎水

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↓私の好きな墓場からの眺め。そこにいたお爺さんに「ここは京都で一番夕日がきれいに見える場所なんじゃよ」みたいなことを教えてもらった。それは知らなかった。

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金戒光明寺の門。ライトアップされててきれいだったけど、せっかく周りが暗い場所なので闇夜にまじって黙然とたたずむ姿も見たい気がする

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↓先週末行った滋賀。滋賀は人が少なくて良い。

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雪の本丸

 以下に記す文章はすべて、こんな先輩がいたら実際に嫌だろうな……と思って書いたフィクションである。注意されたい。

×××

 2011年度、私の所属していた某部において、BOX(部室)に人が住みつくということがあった。出現頻度が高く滞在時間が長かった、といったことの比喩ではなく、BOXで寝て、BOXで食事を摂り、BOXで無為に時間を過ごし、本当に住みついていたのである。しかも三人も。
 一人は同期のGTM(2010年度入学)で、もう一人は後輩のNMI(2011年度入学)である。最後の一人はM氏(仮名)で、8月から12月まで住んでいた。2003年度入学であり、当時はとっくに仕事についたあとだった。
 当初、本稿ではこれら三人についてそれぞれ、できるだけ客観的な記録を残したいと考えていた。だが情報収集や執筆時間の制約により、M氏の事例に限定し、インタビューを基に私の個人的な思い出話を含めつつまとめることとした。あまり充実した記録とはなっていないのだが、某部の負の遺産特殊な記録の一つとしてここに残しておこうと思う。

×××

(1)BOX生活の始まりまで
 私が入学した2010年度、すでにM氏は社会人であった。最初の頃の率直な感想を言えば、「たまに部会後に現れる謎の人」であった。BOXに現れる目的はもちろん麻雀のためであり、M氏を含め先輩達の誘いにより純真な一回生達もだんだん第二部会に参加するようになった。後期に入ると、私の他にI氏やGTMと一緒に「赤い車」でドライブに行くこともあった。
 2011年度に入り、M氏の様子がやや変わったような気がしていた。というのもBOX滞在時間がやけに多く、しょっちゅう麻雀を打っていたり、平日に急にドライブに出かけたりしていたのである。「西に向かってドライブしよう」といってI氏を含め三人で「青い車」で出発し、なぜか長野を縦断しつつ咲の聖地を巡るドライブをしたこともあった。
 そして8月のある日。会社の休みをとった某氏の誘いに乗り、M氏とI氏は「青い車」で小樽行きのフェリーに乗り込んだ。会社への連絡はとらず。後に残った者たちは驚いたりおもしろがったりしていた。そしてM氏はそのまま会社に連絡を取らず、仕事をクビになったのである。M氏いわく「電波が通じないから連絡がとれなかった。仕方がない」ということだったが、やはり仕事に相当嫌気がさしていたらしい。北海道には一週間か二週間だか行っていたような記憶がある。
 当時M氏は実家住みだったが、北海道から帰って少しだけ実家に寄ると、BOXに入り浸り、そのまま住みつくようになった。仕事をやめて家族に申し訳が無く、失踪したかったとのことだった。それ以前にGTMやNMIが住みついていたこともあり、まあそんなもんかという感じで自然に受け入れられたような記憶がある。

(2)BOX生活最盛期
 BOXでの生活だが、圧倒的に多くの時間が費やされたのは麻雀であった。BOXにはいつもM氏がおり、あとたいていNMIもいた。そのため、あと二人揃えば自然と卓が立つ。私やGTM、I氏はそれなりの頻度でBOXにいたし、他にも何人か打つ人がいたのでメンツに困ることは無かった。授業前に少し時間を潰そうと思ってBOXに行くとたいてい麻雀が始まり授業に行けず、おかげで私もGTMも単位をほとんど取れなかった。M氏がここで編み出したオカルトの一つが「生活がダメだと麻雀もダメになる」というものである。「麻雀のために日常生活を犠牲にするのは全くダメ」で、「麻雀のためには働いた方がよい」とのことであった。社会人と無職の両方を経験している人の言葉なので、デジタル派の人にとっても一顧くらいの価値はあると思う。期待値の理論を振りかざし他者の気持ちを考えないような人間になってはどうにもならないのである。
 他によくしていたのはTVゲームである。特にプレイしていたのはshining force exaで、これの防衛線とかいうのをよくしていた。これはM氏にとっては重要らしいが他の人々にとってはよくわからなかった。あとM氏自身はプレイしていなかったが、四八という酷いクソゲーをSあたりがプレイするのをよく観賞していたらしい。
 あとはカラオケに行ったり、たまにドライブに行ったりして、楽しく毎日を過ごしていた。だが、一人になると家族への罪悪感もあって精神状態は厳しい状態であったらしい。
 個人的に印象的なエピソードの一つが、H氏が麻雀を打ちに来たときのことである。たしかもうこたつの出ている時期だったと思う。いつも通り深夜に打っていたのだが、その日は誰かが持って来たのか日本酒があったので、やや早めに切り上げて酒を飲みながら雑談をしていた。その時に初めてM氏が仕事をやめたと知って、H氏がすごい勢いで喜びはじめた。「Mさんすばらしいですよ!! 最高ですよ!! いや~~さすがMさん!!!」、「そもそもMさんが仕事してること自体おかしかったんですよ!!!」と大笑し、つまらない仕事を延々と続けて老後になってどうするんだという話や、どうすれば定職につかずに生きていけるかという話を熱心にしていた。この日のM氏とH氏の会話は今でも強く印象に残っている。

(3)BOX生活の終焉
 ある冬の日のことだが、Mさんのお姉さんがBOXにやってきたということがある。いつも通り深夜に打っていた我々の前に、一人の女性がやってきた。その女性こそM氏の姉君で、麻雀を中断してしばらく廊下で話してから戻ってきたM氏はどことなく神妙であった。これでついにM氏の行方不明も終了することとなった。実はその前にI氏の携帯にM氏の姉君から電話があったらしく(登山計画書かなにかを見たのだろう)、その時I氏は適当にはぐらかしたそうだが、やはりBOXが一番怪しいと思われていたのだろう。なんとなく、これでM氏の無職生活も終わるのかなと、そんな気がした。
 M氏がBOX生活で一番印象に残っているエピソードは、大晦日の前日のことであるらしい。その日M氏は、一人でBOXで過ごしていたところ、深夜に唐突にGTMが現れた。飲み会帰りで、色々と思うにまかせぬようなことがあった状態だったらしい。相当酔ったまま、M氏の横でこたつの中に潜り込んだ。と、しばらくすると、いきなり炬燵布団と上の机をはねのけて外に出てきた。自分で入ったにも関わらず「暑い暑い! 俺はなんでこんなところにいるんだ!!」と騒ぎ、あまつさえ「恋が市民革命している」などと意味不明の発言を続け、M氏のヘルプによりI氏が現れる事態となった。理由はよくわからないが、この事件がM氏にとってある種の転機になったらしい。大晦日もBOXで過ごすつもりだったM氏だが、GTMが暴れる姿を見てなぜか「このままじゃいかんなぁ……」と強く思ったとのことだった。このことを考えると、GTMはM氏が社会復帰できた点において少しは感謝されて良いのかもしれない。
 大晦日の日。帰省もしておらず特に理由もなくBOXを訪れた私の目に入ってきたのは、部屋を片付けるM氏と、ずいぶんきれいになったBOXの風景だった。M氏がついにBOXを出て実家に帰ると知った私は、なんとなく予想していたことではあったが、やはり多少の驚きはあった。その日、happyとIさんと、なにかの用事で比良さんがいた。happyと比良さんとなぜか京大wallに行ったあと、BOXで麻雀を打ってみんな別れた。そしてこの日を最後に、M氏はBOXを去ることになるのだった。

(4)その後
 私事だが、この年の私は精神的に無茶苦茶な時期で、ろくに学校にも行っておらず、沢かBOXに入り浸る時間が長かった。そういう時期に、社会に参加するためにBOXを出ていくM氏を見ると、やはりこのままじゃいけないんだなと、身につまされる思いだった。先を見なければならないんだなと思った。もっともM氏がそれから就職するまではまだ八カ月くらいかかったし、私はまだまだまともに学校に行かなかったわけだが。その後、M氏が我が家に数十箱のダンボールを運び込んだりいろいろあったわけだが、そこらへんは省略する。詳しい話は本人に聞いてみてほしい。
 先日、龍門でM氏やH氏を含むOBや現役と飲んだ時に、いつも通りにハイテンションのH氏が「若者は辛くなったらM氏を見てほしいね。なにがあったってこうやって生きてるんだからさ!」、「M氏がなにしようがもう誰も驚かないっすよ!!」とおっしゃっていたのが印象的だった。まぁ、仕事をやめてBOXに住む人が何人も現れては困るのだが、心の片隅に「なんだかんだ生きていける」という思いを持ち続けるのは、世知辛い現代社会において大切なことなのかもしれない。
 最後にM氏の発言を載せておく。「BOX生活はもうしたくはない。それでも仕事はやめて良かったと思う」。

弘前城

 17億円——皆様はこれが何を表す数字か、わかるだろうか。これは、私が今ほしい現金の額である。17億円あったら、真如堂の辺りに家を建てて、残りのお金を資産運用して、あとはアルバイトして日々大人しく過ごしたいと思う。

 

 とまあそんなことはどうでもよく、残酷なことに暦通りに時は過ぎ、もう世間は10月になってしまった。この間に様々なことがあった。あまりにあったので、網羅的に書くのはあきらめておく。前職で色々あったことについては、そろそろ時効だと思うので気が向いたときに書き留めておきたい。

 この間あまり更新をしなかったが、別にさほどblogに対する意識の変化などがあったわけではなく、一番大きな要因が社会人になってから買ったPC(ビッグカメラで一番安いやつを買った)があまりにポンコツで、しかも日を追うごとに老衰が進行しているのであまりPCを使う気にならないという事情がある。あと疲れて帰ってくると睡眠時間を優先する。

 

×××

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 所要があり名古屋に行っていた。私の一番好きなラーメン屋である如水に行ったのだが、その際にたまたま母校の高校が文化祭をやっていたので見学してきた。

 この高校時代は結構無茶苦茶で面白かったので少しだけ思い出を記録しておこうと思う。私はこの中高一貫の男子校に高校から入学した。1学年400人弱のところ、我々外来組は1クラス33人だけだった(1年次のみ別クラス、2年から分散・合流する)。例年、外来組は、内来組とのパワーバランスから当然大人しく静かに暮らすのが通例であった。が、私の世代はたまたま異常者が集っていたのか、すぐに教室の前と後ろでキャッチボールをしだしたり、暴行事件を起こしたり、窓から下にいる奴に暴言を吐いたり、食堂で天むすを投げたり、授業中うるさすぎて隣のクラスから苦情が入ったりして愉快に暮らしていたのだった。私はというと、やはりこういう状況であまりに大人しく暮らしていると損することが多いので、適度にふざけて遊んでいたと思う。

 そんなある日、外来組で一番うるさく、内来組からも目をつけられている男の下駄箱がボコボコに破壊されているという事件があった。外来組では、今思うと何故かはよくわからないのだが、非常にそれを面白がった。あまつさえ、自分たちの下駄箱をボコボコに破壊するようになったのである。そのうち、クラスのまじめで大人しい奴の下駄箱まで同じクラスの奴に勝手に破壊されるようになり、外来組周辺の下駄箱だけ全てボコボコに変形して閉まらないようになっていた。そんなことを、下駄箱の前を通るときに思い出した。

 我々の高校は1、2年は各教室で演劇とかをやるのだが、外来組の演劇も盛況なようだった。あまりに盛況で入れなかった。仕方ないのでかわりに入った部屋は手抜きすぎて面白かった。

 下駄箱はどこも破壊されていないようだった。

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自画像

 下書きに謎の記事があったので供養しておこうと思う。前職の就職直後、風邪で寝込んでいた時に書いた記事のようだ。

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 振り返ってみると最近は様々なことがあったのに驚いた。

 大きなことで言うと、鹿児島で学会発表があり(微妙なまま終わった)、東京に引っ越した。引っ越して以来いろいろあった。文京区?とかいうところに住んでいるが、関西に比べて品が良い気はする。引っ越してしばらくはなぜかお湯が使えなかったので、近所の銭湯に通ったが、イレズミのおっさんや関西弁のおっさんが一切おらず、京都との文化の違いを感じる。

 私もついにサラリーマンとなった。サラリーマン。かつて私はそれをいかに軽蔑し、畏怖していたであろうか。私の幼稚園以来の友人からも「お前にサラリーマンは無理だ」と言われ自分でも納得していた。高校時代、サラリーマンにだけはなりたくないので将来は学者かお坊さんになりたいと思っていた頃もあった。そんな私がサラリーマンになっているのだから世の中も相当限界が近いと言える。

 

 8日頃からずっと風邪気味だったがその後かなり悪化したので、木曜日と金曜日は家の布団でぼーっとしていた。なんとなく頭に浮かんでくるのは京都のささやかな山と川、汚い部室、そして暖かい下宿の風景である。そして当分はこの謎の町で過ごす運命を考えたときに思ったのは、自分がなぜ生きているのかということである。わけのわからん仕事を何十年もこなし、気付いたら老人になっている未来である。死にたくない以外に生きる意味があるのだろうかと考えていた。自殺願望があるわけでは無いが、休日のわずかな癒しのために何十年も働くのは割に合っているのだろうか。

 おそらく(きっかけはなんであれ)生死に関する葛藤は、程度の強弱や時期の遅い早いはあるにせよ若者がそれなりに味わうところであると思う。京都で有体に言って気ままに暮らしていた私に、世間とかいうものが押しかかってきたので、ようやく人並みに悩むようになったのであろう。学部生時代、まったく学校に行けず未来に絶望していた頃はあったが、その時は下宿でひたすらぐうたらしてすべて忘れるという逃避行動が取れたので心が救われていたのだった。

 そういうわけで、ついに私も人並みに神経衰弱になった。といって、なんとかしなければならない。一人ではるかな峠道を越えたりすればなにかあるだろうか。

石坂の"洋サン"

ナッツ

 屋久島からナッツが送られてきた。どのナッツかと言うと、一番よく目にするナッツで、すなわち岩の間に挟んでリードクライミングの際に支点とする例のナッツである。

 2016年度の秋、部の後輩と一緒に屋久島で最難の沢を遡行した。その核心部は激しいチムニー地形の登攀で、リードで登りながら、なんでこんなところに来てしまったんだ(行こうと言い出したのは自分である)、もう沢登りなんてやめようとか思っていたことをよく覚えている。そこでは例のナッツをガッチリ岩にはめ、あぶみ(はしご状のロープ)をかけ、その支点を命の頼りにして登攀した。ナッツがあまりにガッチリはまったので回収できなくなり、やむなく残置したのだった。

 そんな思い出があり、いつか回収できたらなと思っていたナッツが、ひょんなことから手元に帰ってきた。傷も愛おしい。もし屋久島の某川を遡行される人がいたら、貸すので言ってほしい。

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吝嗇

 前職の同期の一人に全然金を使わないSという男がいた。どれくらい金を使わないかと言うと、200円代ののり弁を食べまくり、一か月昼飯に食べ続けたという伝説がある。その結果、Sによると味覚がおかしくなったらしく、普通の水を飲むだけでやたらにがくなったりするなどの症状に悩まされたとのことだった。その後はさすがに会社の近くの学食にも行くようになった。また、私的な飲み会にはほとんど参加しないが、やむなく参加する時には、「自分は水しか飲まないので、その分割り引いてくれ」と言うのが印象的であった。

 このSは有体に言ってあまり明るくなく、社交性を要する場が嫌いな男であった。金を使わない理由を聞いても謎で、正直なところ私は、ただ単に吝嗇な性格なのだと思っていた。

 Sと私はともに社会性が欠如していることもあり、比較的仲良くしていた。もう一人仲の良い同期のR(人格が破綻していた)がいた。私が転職を考え始めたころだが、3人で集まった際に、転職しようと思うという話をした。と、Sも実は仕事をやめる計画があり、それも転職ではなく、大学院の博士後期課程に行くとのことだった。Sはもともとこの会社に入った時からまたアカデミックの世界に戻るつもりで、この会社は学費や生活費を貯めるための出稼ぎ程度に考えていたのだった。ようやく私は、Sがなぜこんなに金を使わないかがわかった。単なる吝嗇どころではなく、Sは固く強い意志を保ち続けていたのだった。

 前職の最終出社日、SとRから金麦を6缶もらった。