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ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

芝刈り

 なんとも言えない日々が続く。

 研修も終わり配属され、ようやく仕事らしきものが始まっている。私の所属は性器部陰嚢課というところで、日本軍で言えば参謀本部か軍令部あたりだろうと思われる。

 研修では当初、なるべく協調外交的な態度で挑んでいたが、当然途中でめんどくさくなり、結局は孤立気味になっていた。やむを得ないことである。とりあえず1か月終わってみて点数的には13,400点といったところだろうか。ここでどうでもよくなって初手からいきなり降りたり、なんとなくオタ風を鳴いたりすると、大体負けが確定するので注意が必要な状況である。

 

 ところで先日、大阪と神戸に泊りで研修の出張があり、それ自体は特になにも無かったが、金曜日の夕方から京都に寄った。味〇へ行ったあと、あけぼのへ移動して部の者どもと飲んだ。その後は部室で早朝まで飲むなり打つなりして寝たが、結構な人数が気絶していたせいでなんだか壮観であった。

 翌日、7時ころに起きて岡崎のほうに散歩に行った。ここらへんは人があんまいなくていつも楽しい。金戒光明寺のあたりをぶらぶらしていたらおじさんにここの山門はすばらしいんじゃよと話しかけられた。真如堂は花盛りでとんでもなくきれいだった。吉田山は新緑で気持ちよかった。町をぶらつきながら、自分はもうk大生ではなく単なる外来者として蹌踉と歩いているのだなと思った。丸太町で紅茶を飲んで東京の下宿に帰った。終わり。

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 そういえば真如堂でおみくじを引いておいた。

〇悦事なし

〇待人来らず

〇病人長引あやふかるべし

〇争事まけなり

〇生死は十に六七は死すべし

 

 つまり、漫然と生きていても仕方がないという運命が暗示されている。

病室の花

 7年間暮らした京都をついに去ることになった。

 18日には部の奴らであけぼのに行った。もはや見飽きた顔達(向こうも同じように思っているだろう)だが、これからはそうそう見られぬことになる。あけぼのももう閉じてしまうので、学生の間に一回行けて良かった。

 19日、20日と引っ越しの準備をしていたが、家具があまりに貧相な割に、本やCDが多すぎて我ながらビックリした。そんなわけで結構な量の本を譲渡したり、本の代わりに服を捨てまくったりして忙しく働き、ようやく準備が整ったのは20日の深夜27時だった。ダンボールに囲まれながら、ガヴリールドロップアウトなど観てビールを飲んでいた。こんなことでも感慨深かった。

 21日にいよいよ荷物の搬出であった。カラッポになった部屋を見て、今更ながらこんな小さな空間を自分の天地にしていたんだなと思った。六畳一間というのも不思議な空間で、私はこのスペースを狭いと思ったことがほとんど無い。それどころか、たまに底知れぬ深さを感じたりもしていた。ここは私にとっての小宇宙であった。なんだそれ。夕方、手伝いをしてくれた部の後輩の一人といつもの味○に飲みに行った。と、マスターにいきなり名刺入れを渡された。卒業祝いとのことだった。驚いた。嬉しかった。この日は初めてステーキを注文したが、とんでもなくおいしかった。また来なければなと思う。

 家に帰ってから、寝袋にくるまり最後の晩酌を噛みしめていると、後輩が三人やってきた。もう最後だからということで訪ねようと思い立ったらしい。玄関でしばらく立ち話をして別れた。その時は驚きのほうが勝っていたが、一日立って思い返すとありがたさが募るし胸が苦しくなる。その晩は27時過ぎまで一人でしんみりと飲み続けた。過去、この下宿で本当によく一人で飲んだ。他人と飲むのも(相手によるけど)好きだが、多くの場合それはいくらかの緊張感や疲労を伴う行為である。完全にリラックスし、心が休まり、ゆっくり物思いにふけったり、くだらぬことを考えたりするのは、やはり下宿で一人で飲む時であった。これは一生変わらないと思う。

 22日朝、鴨川を見に行き郵便局に寄った後、部屋の点検があってこれにて下宿を退去することになった。下宿のすぐ近所にある酒屋に挨拶に行った。ここは私が二回生の頃から通い続け、数えきれないほどのビールや金麦を買った場所だった。この店のせいで飲酒が捗りすぎたような気もする。生ビールチケットが余っていたので一杯頼み、残りのチケットは店で預かってもらった。またビールを飲みに来なければならない。裏の公園で飲んで、ここらへんともしばらくおさらばだなと思って出発した。昔を思い出しつつ哲学の道を歩いていると、業者から電話がかかってきて、粗大ごみに貼りつける券が足りないから買って貼りつけに来いと言われた。そんなわけでせっかく気持ちを固めて出発したのにまた下宿の前に戻るはめになった。それからは本当にお別れで、平安神宮知恩院に寄り、木戸孝允の墓に参って名古屋の実家に帰った。

 

 7年間はさすがに長かった。小学一年生が中学生になっている長さである。今の一回生は私が入学した2010年にはまだ小学生である。京都に住みたくてこの大学を選んだので、ある意味しあわせであった。

 京都が快適だった要因は、街と川や山との距離感であったと思う。文化財がいっぱいある街なら他にもあるだろうし、ただ自然が豊かな場所ならいくらでもある。京都はその両者が一体となって独特の雰囲気を形成していた。ちなみに2010年2月、大学受験のために京都を訪れたときに書いた日記によると「京都に着いて、まずうれしいのは、遠くに山が見えることだ。そして、高いビルが無いから街に開放感が溢れるところとか、賀茂川(注:鴨川)が穏やかに流れているところなども、やはりうれしいことだ。」とのことらしい。

 学生生活において最も重要だったのが部活動である。役に立つことも役立たずなことも学んだ。しかしこれはあまりに内容が膨大なのでここでは省略する。ただ、よみがえってくる7年間の思い出は9割以上が部活関係である。

 どくとるマンボウ青春記という本がある(著:北杜夫)。学生生活のなかで最も親しみ、ふとした拍子にお気に入りのページを開いたりする本である。最初に読んだのは一回生の夏、知床に行くために乗っていた舞鶴-小樽のフェリーの中であった。私はいたく感動し、こんなバンカラで、一方で思索にふける学生生活を送らねばと思った。しかし振り返ってみると、私はこの本に述べられているうちで感傷的な面ばかりが身についてしまった。この日記を読めばわかるとおりだが、これだけ感傷的だと、引っ越しをするだけで心が痛んで大変である。ところで青春記には色恋沙汰が北杜夫氏の体験としては全然出てこない。出てくるのは男と自然ばかりである。この点については私もまねすることができ、思い出の中に登場するのは男と山ばかりである。

 以下、若かりし頃の北杜夫氏が松本を出る際に書いた詩の一部を引用しておく。

この街は。おれの稚さが住んだ街。そりやあ懐しさは湧くだらうよ。悔しさはつきまとふだらうよ。むさぼり眠る汚なさの。ごみごみとした愛情の。あとは知らぬといふだらうよ。街は緘黙。喪心に四方は回転。

 

 さて、他にも色々と思うところはあるが、とりあえずここまでにしておこうと思う。

 ひとことだけ付言すると、様々なことがあった。

病院の夜明けの物音

 この頃は様々なことがあった気がするが記憶があいまいである。

 

 東京への配属が決まったので、家を探しに行った。結局文京区とかいうところの某所に下宿を構えることとなった。ここらへんの土地の印象としては、あまり山とかが見えなくて景色がなんとも言えない感じである。まあ住んでるうちに楽しいことも見つかるかもしれんけど。家を探しに行った際、すもと様とオフって神楽坂某所でお昼をごちそうしていただき、まことにありがとうございました。私も段々ここらへんを庭にしていきたい。

 ちなみにこのとき相談に行った不動産屋の人はなかなかサイコパスっぽい人で、家を見に行くために一緒に歩いてる最中、「この仕事は辛すぎる。生まれ変わったら二度とこんな仕事はしたくない」、「禿げてるのでお金を出さないとモテない。キャバクラに行くしかない」、「僕みたいな息子で親は不幸だろうな」などと無茶苦茶言っており、他にも嫌な客の話とか無能な業者の話とか言いたい放題であった。やはり不動産業界というのは厳しいところなので心も荒んでしまうのだろう。

 

 あとは後輩達と久しぶりに沢に行った。某日の23時にBOXを車で出発し、ボコボコの林道を走りつつ翌朝4時過ぎに入渓点に到着。まだ暗いので少し仮眠するが寒すぎてまったく眠れなかった。明るくなってきたので車の外に出ると更に寒く、さっさと帰りたくて仕方なかったが、ここまで来たのでやむを得ず入渓する。沢自体はしょぼくれたところで、滝もあるにはあったが、特に問題もなく終わった。あほみたいに寒いにも関わらず斜めの滝でウォータースライダーしてる奴がいた。

 下山が早かったので温泉に入り、勝浦で刺身を食べ、速玉大社と神倉神社に寄った。良い所だった。ところで自分は冬の南紀が好きである。特になにが良いというわけでもないが、静かで寂しく、それでも暖かい雰囲気がよい。夜に部室に戻り、新宮で買ったクジラとマグロを炙りつつ酒を飲んだのであった。こんなふうに徹夜で沢を登って遊ぶようなことも、社会人になったらどれだけできるのだろうか?

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 他にはなにがあっただろうと思って手帳を見てみると、体重の経過が書かれているだけでなにもわからなかった。ただ、部室で麻雀を打ったり酒を飲んだりすることが多かったことは覚えている。

 なんか春休みに長期の旅行でも行こうと思ってたが、気力が限界だったのもありなにも行ってない。まあこの下宿でだらだらするのも大切である気がするので、これはこれでとてもよいと思う。

物理学と感覚

 様々なことがあった。

 まず研究室のお別れparty(?)があり、それ自体は特に何事も無かった。ただ先輩であるridge氏が、君がいなくなると厳しくなるなとおっしゃっていたのが印象的だ。別に私が特に優れているということではなく、私の世代が消えると我々の分野の学生がridge氏のみとなり、大変状況が厳しくなるという事情がある。あの研究室もどうなってしまうのだろうか?

 

 部の追いコンがあり、その裏でOBが集まってあけぼので飲んだ。今年の夏に閉まってしまうのでなるべくたくさん行っておきたい。こういう店は東京でも発見したいものだ。二次会からは現役と三条で合流する。私が四回生の時に入ってきた奴らがもう卒業の年ということにビックリである。子供の成長を見守る親もこんな気持ちなんだろうか? 多分違うだろうな……。今年も一名留年ということで、連続留年記録が伸びることとなった。

 酒でふにゃふにゃになりつつ部室に戻り、一休みしてから大文字山に登りにいった。大文字山のナイトハイクはなかなか思い出深いものである。初めては2010年の4月、一回生の時で、部の同回生の奴らと一緒に登った。きれいな夜景を観ながら、四回生の頃にまた来よう、その頃にはどうなっているんだろうな、というような話をしていた。時は流れ2014年の3月。追いコンの三次会で再び大文字山に訪れた我々だったが、誰も学校を出ておらず全然状況は変わっていなかったのである。医学部の奴と院にストレートで行った奴が残っていたのはともかく、その他の3人が全員留年するとは予想できなかった。さらに時は流れ2017年の2月。未だに学生をやって大文字山を登っている。ただ周りに同回生はおらず、みんな下回生である。酒を飲みながら部室に戻り、朝まで打った。

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 家族が京都に来て大学の近くの某吉○山荘で食事をした。泊まると一日数万円らしく、アパートが一カ月借りられる。その後、近くの真如堂金戒光明寺のあたりを散策した。吉田山からここらへんの一帯は静かでとても良いところだ。ここからだと大文字山がやたら大きく見える。どうでもいいんだけど、多分私は寺社というより寺社のある風景が好きである。

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科学者と芸術家

The Men

 修論発表会があった。攻撃的な態度の質問には攻撃的な態度で返答しようくらいの気合いで挑んだところ、本当に攻撃的な態度の質問が来た。そんなわけで微妙な雰囲気で終了した。終わったあと、個人的にはまぁこんなもんやろ……くらいに思っていたが、他の人に評判を聞いたら「君は教授に対して失礼だね」、「社会人になったら丁寧な対応ができるようになるといいね」といったありがたい感想を色々いただき、とても嬉しかった。まあこんなことになった伏線としては、最近は普段のゼミで「先輩だったりポストがあったりするだけで、分野外の素人の癖になんでそんなに偉そうなんだろう」とか思って色々と鬱憤が溜まっていたという事情がある。どうでもいいや! ちんぽちんぽ! うひゃひゃひゃひゃ!

 発表が終わって一週間経ったが、この間有意義なことは何もしておらず、心が緩んで一気に頭が悪くなった。三月末に学会発表があるが、その時には完全に呆けておりまともな会話は不可能になっているであろうことは想像に難くない。そういえば久しぶりに部の奴と飲む機会があり、百万遍の某ちゃんこ鍋屋に行ったがここは中々良い店だった。その後は部室に戻り飲み直しながら麻雀という黄金コンボ(?)であった。これもあと何回できるだろうか。

 

座面

 今日は咲の劇場版を観てきた。観客の100%が男、うち80%くらいは単独で、同人誌即売会以上に均一性の高い雰囲気であった。肝心の内容だが、割と原作を再現してる感じで楽しかった。長峰山も背景で出てきたが良い所である。風越の人たちは全体的に原作の雰囲気をかなり再現しており、そのせいで異様な迫力があった。あと池田華菜が良かった。やはり長野編は良いなあと思った。うひゃやひゃひゃひゃ!

 そういえば東京勤務が正式に確定した。職場から徒歩20分以内の場所が良いと考えているが、地理感が無いので下宿を探すのが厳しい。神田川がどんな川かまったく知らないが、鴨川とか哲学の道みたいな感じだったら川の近くに住みたい。

 

坐麺

 修論のための作業をしながら爆風スランプのライブ音源を聞きまくっていた。爆風スランプは小学校の頃から聞いており、一部のベスト盤を除きアルバムはすべて持っているし小さいサイズのシングルCDもそれなりに持っているので、まあにわかファンではないとは思う。爆風スランプというとランナーとサンプラザ中野が有名だが、実はリズム隊が日本有数の実力派なバンドである。まあ、もう解散したけど。せっかくなので(なにが?)好きな曲をいくつか貼る。

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大きな玉ねぎの下で 多分爆風スランプで三番目に人気のある曲。九段下のイメージはこれしかない。

 

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よい これの一曲目のよいがベスト5に入るくらいには好きな曲。

 

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えらいこっちゃ ライブはいつもこの曲からドドーンとスタートしていた(らしい)。ソロがしゅき。

 

 

ザーメソ

ザーメソ

ザーメソ

ザーメソ

ザーメソ