ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

津軽衆と南部衆

 大学の後輩たちが夏休みのため関東の沢を登るとのことで、お情けで誘ってもらったので、久々に登ってきた。

 山梨某所で登ることになり、前日は山梨の寂れた温泉街にある謎の健康ランドで泊ったのだが、なんでもここは前回の温泉甲子園で優勝したらしい。種類がやたら多い温泉に入り(全部ぬるかった。あと一番でかい風呂は飛び込み対決が行われており入れなかった)、宴会場で雑魚寝した。沢に行く前日は毎度のことだが、なんでわざわざ沢なんか行かなきゃいけないんだと思い、中止になれと願うのである。この感覚も久しぶりに味わう。翌朝、後輩たちと合流する。

 肝心の沢だが、簡単で気楽ではあったが、荒れた河原がやたら多く、滝が少なく、しかも無駄に長くてしんどかった。きれいなところもあるにはあったが。下山も長くてしんどかった。全体としてはしょぼかったという印象が残る(スマソ!)。

 焼肉を食べて解散した。なんだかんだ言ってもやっぱり沢はよい。

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 この間様々なことがあった。

 春からしばらくはなぜか人事を併任して採用担当をしていた。おそらく上層部に破滅主義者がおり、この会社を滅茶苦茶にしたいと考えたために私が任命されたと考えるのが自然である。もちろん新卒採用は惨敗に終わったわけだが、こんな会社に入れていいのかという罪悪感もあったので、あまり良い人がいっぱい入らなくて良かったと言えなくもない。

 そんなわけで採用担当兼政治対応兼国際担当兼その他もろもろという謎の所掌となっていた。一時期、寝不足が続き、常に頭の中を弱い力で握られているような、脳みそがかゆいような、不思議な状態が続いていた(今は元気になりました)。謎の会議のためにパリに行ったりした。

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 そんな感じで概ねまじめに生きている。7月からは新しい部署となり、心機一転、退職への思いを強くした。

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陸奥の名のさまざま

  京都時代の下宿をネットで探していた。なんで今更……というところだが、確かめたいことがあった。不動産サイトを見てみると、その下宿の部屋はみんな埋まっているようだったが、外観写真は載っていた。見てみると……ある部屋のベランダに、物干し竿の代わりに汚いひもがぶら下がっている。

 もちろんこれは私の部屋で、引っ越し当時、物干し竿を持っていなかった私は汚い紐を代わりにぶら下げた。紐は案外長持ちし、結局下宿を出るまで変わらず使われていたのだった。あの下宿の写真に、あの紐は写っているのか? というのが気になって検索したのだった。我ながら懐古趣味が過ぎると思った。

 

 過去のブログを読んでみると春の記事は感傷的で気持ち悪い一方で、それなりに色々と思うことが書いてあるように思う。が、今年についてはそういう心持ちがあんまりない。一回生と二回生では大違いで、色々と考えたりわめいたりするのだが、社会人一年目と二年目ではさほど変わりは無いように思う。そんな春が今後無数に続くのではないという予感がある。感傷的な自分にはつらいことだろう。

 自分の感傷性は大学時代にひどく悪化してしまったように思う。

 沢を登っていてよく思う。つらく苦しく怖く、全然楽しくないと。下山後にほっとしてだらだらするのが楽しいんだと思う。でもそれだけでなく、沢が終わって、一週間、一か月、あるいは数年たって、沢のことを思い出すのが楽しい。思い出すのが楽しいから沢に登るような気がしている。

 

 ビールを飲んで支離滅裂な文章を書いているのでもう終わる。

古代の豊かさ

 命ある限り沢メン魂を世に広めることを決意し、爽やか沢メンとしての誇りだけを持って東京に出てきて一年。読者諸賢のご存知のとおり夢は破れ、心は千々に乱れ、頭はおかしくなり、体重は激減し、白髪が生え、先週は胃腸炎となった。
 そんなわけで、いつ東京を去ってもあんまり名残惜しくないよう、関東の色々な場所になるべく行っておきたいと思っている。先週月曜日は有給で休みだったので、ヤマノススメの舞台である飯能に行ってきた。まずは駅の観光案内所に寄ったところ、そこのおじさんに「そこにヤマノススメポスターがあるんじゃよ」などと言われ、舞台巡りのおたくであることがばればれであるようであった。町は3年前に行ったときに比べてパネルの数が激減している気がしたが、あとで調べたら月曜日休みのお店が多いせいもあるようだ。なんにせよ三期が楽しみである。OVAをまだ見てないけど……。

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 私の所属していた部署は社内で無茶苦茶な扱いを受け続け、このたびついに部署分割の憂き目にあうこととなり、私自身も意味不明な所属になることとなった。新天地では命ある限り沢メン魂を発揮していきたい。例えそこが、草がすぽすぽ抜ける草付き壁であったとしても。
 考えてみると昨年度に沢に行ったのは、夏休みに日帰りで登った一本だけである。今年は詰めあがった瞬間に胸が熱くなって、下山後に疲れはてながらビール飲んでへらへらできるような、そんな楽しい遡行を一度はしたいところである。

 なによりこの晴天の下での砂浜麻雀。
もう麻雀がインドアスポーツであるなどとは言わせない。
 ××××の名に懸けても、麻雀がれっきとしたアウトドアスポーツであるとここに宣言する。
 「打ってないやつはだまってろ!」
とにもかくにも、西表合宿中最高の環境、類い稀なる好天の下での対局開始と相成ったのである。

断水の日

 そういえば正月休みが終わる前に、研究室時代の先輩に誘われて山梨でキャンプしたのであった。なんで山梨かと言うと先輩が山梨で働いているからである。なんで真冬にキャンプするかと思われるかもしれないが、寒い中で焚き火にあたるのはそれはそれで味があって良かった。昼頃にキャンプ場に着きさっそく飲み食べ始め、そのままシームレスに夜まで飲み食べ続けた。先輩がスペアリブの骨を焚き火に放り込みながら、「骨は燃えるよ。最近葬式で燃やしたから知っている」と、おっしゃっていた。

 最も不安だったのは夜の寒さであったが、下は5枚、上は7枚とか着て寝袋も3枚使ったのでさすがに快適に眠れた。翌朝焚き火のあとを片付けていると、先輩が石のかけらのようなものを拾い上げ、「これは骨だな。ここが脊髄。こういうふうに燃え残るんだ。最近葬式で燃やしたからわかる」と、おっしゃっていた。その後は洞窟を見て解散した。

 ところで自分はキャンプとかバーベキューは嫌いではないし楽しいと思うけど、あんまり自分から行く気がしないのは、それならもうちょっとがんばって山に入ったらもっと楽しいのに……と思うからである。より具体的に言うと沢沿いの焚き火がなによりも好きである。

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 先日、近所の小石川植物園に行ってきた。寺田寅彦の「どんぐり」の舞台となったところである(参考:http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/827_13489.html)。

 園内は整然と植物が並べられているというわけではなく、適当に植物が散らばっていて広い公園のような感じで良かった。冬の木は好きである。楽しかった。いろんな季節に行ったら多分いろいろ楽しいんだろう。

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 今日スーパーに行ったらすじことかローストビーフとかいろんな食材に「恵方巻に入れよう!」みたいな札がついておりなんでもありかという感じだったが、さらには豚肉にも「恵方巻と一緒に豚汁を食べよう!」という札がついておりいよいよ自由自在の様相を呈していた。

 私の通っていた某k大の横には神社があり、節分には盛大なお祭りを開催していた。大学の前の道路も屋台で埋め尽くされ、構内にもその煙が入り込んでくる激しさであった。基本的に私はあんまり祭には行かないが、この節分祭に関してはテストがちょうど終わる時期というのもあって結構好きだった。部室で昼間から麻雀を打ったりこたつで寝たりしてだらだらしていると、なんとなく祭をやっているようなのでみんなで繰り出し、ちょろっとなんか買って、人大杉やねんとか言って帰ってきてあとはまた部室でだらだらするのである。節分には一度同期の男が部室に豆を持ってきたが、掃除がめんどいという理由で豆まきに反対を受けたので袋のまま投げており、特に風情が無かった。

案内者

 12月中頃にblogを書こうと思い、お正月休みが始まったら書こうと思い、休みが終わる前に書こうと思い、もう年も明けて仕事も始まってしまった。時の流れというのは恐ろしいものである。皆様も気を付けてほしい。

 

 この間様々なことがあった。12月中旬には東京で謎の国との国際会議があり、その準備をしていたが相変わらず嫌な仕事であった。やることは主にプレゼント交換の手配とか部屋のグレードの決定とか肉が良いか魚が良いかとかそんなんである。肝心の会議自体は、私に対する質問は他の人々が代わりに勝手に答えていたので特になにもなかった。途中で飽きて窓の外を眺めたりしていた。毎日夜遅くまでディナーパーティーで、むしろそちらの案内のほうがきつかった。どれだけ長時間いても残業代が出ないのが悲しい。

 あとは忘年会と、最終日のワイン会の手配をしたりしていた。忘年会はともかくワイン会とはなにかというと、会社の偉い人が最終日に会社にワインを持ち寄ってみんなで飲もうぜと言い出し、その事務局を部署の先輩と一緒にやることになったものである(謎のワインパーティーに参加したせいで目をつけられている)。この準備が異常に大変だった。役員二人はなんか良いワインを持ってきたらしく、色々解説していたが、覚えているのは二年前に死んだすごい職人が作ったワインなのだ、という話だけである。泥酔して暴れる人が現れたり「早くこんな会終わらせようぜ! とりあえず叫んで終わらせてくれよ!」と言い出す人がいたりして荒れていた。そろそろ終わりか――というところでなぜか秘書たちが現れたために仕切り直しとなり、結局11時過ぎまでやっていた。疲れはて、ついに正月休みや――と思って家に帰ると、ガスが止まっていたので絶望した。状況を鑑みるにどうやらガス料金を払っていなかったせいで止められたらしい。10月の出張直前にも止められたのだが、ガスを止められると大変もの悲しい気分になる。皆様もくれぐれも気を付けられたい。

 

 4日と5日の有給休暇取得に成功したので、8日まで延々と休みであった。なんやかんやあって実家に帰り、特に何事もなく新年を迎えた。大晦日、友人と観音様にお参りに行ったところ人がたくさんいたので代わりに中華料理屋で年を越すこととして、行ったら閉まっていたのでやむを得ずコンビニに向かっていたところ年が明けていた。めでたい。

 京都にも少し寄った。裁判官になった同期のお祝いという名目だが、単純に京都で飲みたかったというほうが正解に近い。味〇で飲んだりしたあと、部室でしっぽりと朝7時まで飲んでいた。外は寒く、雪が軽く積もっていた。よい会であった。

 他にもいろいろあって毎日へらへら過ごし、火曜日に久しぶりに出勤すると、さすがに年があけて一週間もたっておりみんないつもの調子を取り戻しており、周囲は電話をたたきつける音やキーボードを殴る音、変な溜息なんかでにぎやかであった。

 

    2017年はそれなりに色々あった。仕事に関しては思ったよりハードだったが、思ったより慣れた、といった感じである。なんらかの知識や技術はあんまり必要とされず、気合とか気遣いとかが要求される場面が多いというのもやや意外だったところである。自分の仕事ぶりの評価をしてみると、ボケだがまぁまぁがんばっている、というところだろうか(自分でがんばっていると言うのも気が引けるが)。

 プライベートも激動であった。様々なことがあったが総合的に見るとよかった。よい一年であった。今年もよい一年になるとよい。今年も気が向いたときにblogを書いていきたい。