ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

私はあの地獄の森羅殿の前に、

 最近は色々あった。

 金曜日、名古屋に帰ってそのまま祖父宅に行き色々仕事をする。色々あった。その後実家に帰りつき、やたら疲れて寝た。翌朝から墓に行く。最近墓を大規模に改造したりしたらしい。色々あった。

 夕方から、高校山岳部で顧問だったmarine先生が定年退職されるとのことで山岳部主催の退官記念パーティーに行ってきた。某ホテルのパーティー会場でやったが、男子校のOBが集合しむさ苦しさと陰気臭さが充満した我々と、ちらちら垣間見える隣のきらびやかな;boiljfdonhbtark;:.lk大学の奴らとの対比がすごくて面白かった。

 marine先生は素晴らしい方である。最初、「ついていけるか心配なので新歓登山に行ってから入部するか決めて良いですか?」と尋ねたところ、「わかった、きつかったらトレーニングすれば良いよ」との言葉をいただいて勝手に入部させられてた。我々の世代は最初10人くらい入ったが結局残ったのは3、4人くらいで、また我々の上下の世代も部員数が少なかったこともあり、なかなかかわいがっていただいたと思う。

 色々思い出はあるが、一年生の夏休みに西穂高に連れて行ってもらった時の風景があまりにきれいで現実離れしてて、それでもうやめるわけにいかなくなった時のことが一番印象的だ。高校の最後、よくがんばったということで我々の世代3人を食事に連れて行ってくれることになった。最初名駅高島屋のレストラン街に行ったのだが、店のレベルが高すぎて我々は明らかに場違いだった。そこで先生が「こういうところはちょっと量が多いから良くないね」などと意味不明な言い訳をしていたのが相当面白かった。結局庶民的な中華料理屋で御馳走になった。ありがとうございました。時は流れ2013年の3月、僕が1人で屋久島を縦走していたところ、同じく1人で縦走していた先生と宮之浦岳の頂上で奇跡の再会を果たしたのだった。

 それと今回、同期のrsが事務役をがんばっていた。この男は山岳部(部長)とスキー部を兼部し、クロカンでは愛知県で最強クラスだった。今も七大戦とかで暴れてるらしい。外来(編入)で同じクラスだったのもあり親しくしてたけど、時々、というか頻繁にめちゃくちゃな奴だった。高校に入ったばかりの4月中旬、rsは同じ中学出身で高校も同じ外来になった奴に冗談で椅子を引かれ、なぜか異常に激昂してそいつを殴って歯を折るという事件があった。あとで聞いたところによると、この事件は校内で結構話題になって今年の外来はやばいのではと思われたらしく、もしかしたらこのおかげで外来もあまり侮られなくなったという効果はあったかもしれないのでその点は評価できるが、やはり歯を折るのは良くないと思う。

 

 いっぱい飲んでふらふらになったが気合いでそのまま京都に帰る。深夜に下宿にたどりついてツイッターして気絶した。翌朝から色々あって友人の実家に行く。またも豪勢な食事を食べさせていただき、プレモルを飲む。まことにありがとうございました。

 夕方に京都に帰ってきて、夜からro先輩の追い追いコン(?)があった。ro先輩は2005年入学で、病気で休学したり普通に単位落としたりしつつ昨年度ようやく卒業したが就職が決まらず、京都にとどまり研究室でバイト生活をしていた。僕が入学した時にすでにもう大先輩として君臨しており、なんというか留年界隈の王者みたいな方であった。一緒に過ごした時間は当然長く、クークリはじめ様々な面で影響を受けた。そんなro先輩も残念ながら、いやっおめでたいことについに就職が決まり、春から東京に行く。時代というのは過ぎていくものだ。プレゼントとして大量のレッドブルが送られていた。

 

 そんなわけで最近はなにかと忙しい日を送っていた。今日は暇で、天気も良かったので、久しぶりに北野天満宮まで行ってきた。梅は七分咲きという感じだったろうか。まあ可も無く不可も無い神社だった。

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 昼間は喫茶店をやっているというスナックに入って紅茶を飲んで帰宅した。平和な早春の一日だった。