ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

エニグマ

 涼しくなってきた。道端の草々もだんだんやる気をなくし、銀杏がくっせえ香りを漂わす。未だにベランダに転がる哀れなセミの死骸は寂しさを思わせると同時になんとなく滑稽である。秋だ。青空を眺めるだけで楽しく、山が一番爽やかになる季節である。

 

 まあ秋が来ていることは僕が言うまでも無く誰もが気付くことである。さて、前回のエントリの最後で自分が案外冷静であるというようなことを書いたが、ちょっと落ち着いてみると様々な感情がやたら溢れ出てきて、なんの心配も無く他人に対する感情を人並みに多量にもっているようである。残念ながら、もしくは幸福にも、僕は依然精神的にも物理的にも人間関係にどっぷりと浸かっており、世の中を達観するまでにはまだまだ達していない。当たり前のことを言っているようで当たり前のことを言っているが、中学生みたいな面を多量に残す僕としては当たり前のことを改めて認識することが大切である。

 

 最近はこれと言った事件も無く寝たり起きたりして暮らしているが、木曜日には農学のゼミのウェルカムパーティーとかいうのがあった。外国人や女子大生と歓談したくねえしましてや一緒に酒なんて絶対飲みたくねえよと思っていたが、座った席が非常に良く、周りは全員暗い感じの日本人の男でありしかも教員たちの席は遠く、かなり気楽で助かった。いつまでもそんなふうに苦手なものから逃げ回り続けるつもりか?といった声も聞こえてくるが、まあ研究の障害にならないうちは逃げ回るつもりである。

 

 あと、最近頻々と友情っていいなって思う。基本的に一人でいるのが好きで、友人はあんまりいないわけだが・・・。

 ここで友情と性愛の関係に関する自分の考えをごく簡単に書いておきたい。そもそも友情とはなんなのか。正しい定義は知らないが、対等な立場(自由な立場)で付き合いたい、尊敬できる面がある、一緒にいて楽しい・一緒にいたい、大切にしたい、等々の項目に一定以上あてはまるような人が自分の中では友人となる。この定義からすると、性愛があるかどうかは友情とは無関係であるように思われる。性的に好きだとしても、それらの定義にあてはまる関係ならば友情を含んだ愛情関係になるのではないか。しかし、実は僕とすると、友情は性愛を含んでいてほしくないという思いがある。

 この考えは多分に本能的な面が強いが、自覚できる認識の範囲で書いてみると、性の持つ正及び負の力の強さというものがあげられる。すなわち、性というのは強烈に楽しいものである一方で、時に大変な気持ち悪さやプレッシャーを感じさせるものであるというのはみなさん御存じの通りである。あくまで僕の考えだが、友情とはそういった圧力から解放された状態で、気楽な一面を、純粋な一面を、そしてだからこそ信頼できる一面を、持っているべきものなのだ。

 どうやら僕は生(なま)の性のプレッシャーに人より弱いタイプであり、そのことが大いに上記の考えとリンクしているとは思うけど、案外この考えはある程度は一般性を持っているのではないかという気がする。そしてこうした性愛によらない友情というものを、自分としては尊重していきたいものだ。このことは漫画や小説などの作品をどう見るかという視点にも関わってこよう。ある作品をどう見るかはそれぞれの自由だけど、とりあえずまどマギのTV版に関しては、ほむらは性的な愛情が行動原理になっていないのでは無いと思いながら見るのである。

 

 

 他に書くこともないし、締めの言葉も無いので、僕の好きな歌を貼っておく。

 

ochindays. 作詞・作曲:ビートまりお 編曲:myu314

ねぇ見せて ねぇ見せて もう早く キミのおちんぽ

見せろって 見せろって それをボクに見せてみなよ

恥ずかしいことなんてなにも ないから ボクのも見せるよ

あの日に咲いたおちんぽこは ボクのちんこを強くする

どれだけちんぽこ立っても 僕の世界はおちんぽこ

Good bye ochindays. Something ochinpo.

I love ochindays. Sometimes ochinpo.

Good bye ochindays. Something ochinpo.

I love ochindays. Thank you おちんぽ。

............chinpo...

 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm15383753