ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

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 下書きに謎の記事があったので供養しておこうと思う。前職の就職直後、風邪で寝込んでいた時に書いた記事のようだ。

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 振り返ってみると最近は様々なことがあったのに驚いた。

 大きなことで言うと、鹿児島で学会発表があり(微妙なまま終わった)、東京に引っ越した。引っ越して以来いろいろあった。文京区?とかいうところに住んでいるが、関西に比べて品が良い気はする。引っ越してしばらくはなぜかお湯が使えなかったので、近所の銭湯に通ったが、イレズミのおっさんや関西弁のおっさんが一切おらず、京都との文化の違いを感じる。

 私もついにサラリーマンとなった。サラリーマン。かつて私はそれをいかに軽蔑し、畏怖していたであろうか。私の幼稚園以来の友人からも「お前にサラリーマンは無理だ」と言われ自分でも納得していた。高校時代、サラリーマンにだけはなりたくないので将来は学者かお坊さんになりたいと思っていた頃もあった。そんな私がサラリーマンになっているのだから世の中も相当限界が近いと言える。

 

 8日頃からずっと風邪気味だったがその後かなり悪化したので、木曜日と金曜日は家の布団でぼーっとしていた。なんとなく頭に浮かんでくるのは京都のささやかな山と川、汚い部室、そして暖かい下宿の風景である。そして当分はこの謎の町で過ごす運命を考えたときに思ったのは、自分がなぜ生きているのかということである。わけのわからん仕事を何十年もこなし、気付いたら老人になっている未来である。死にたくない以外に生きる意味があるのだろうかと考えていた。自殺願望があるわけでは無いが、休日のわずかな癒しのために何十年も働くのは割に合っているのだろうか。

 おそらく(きっかけはなんであれ)生死に関する葛藤は、程度の強弱や時期の遅い早いはあるにせよ若者がそれなりに味わうところであると思う。京都で有体に言って気ままに暮らしていた私に、世間とかいうものが押しかかってきたので、ようやく人並みに悩むようになったのであろう。学部生時代、まったく学校に行けず未来に絶望していた頃はあったが、その時は下宿でひたすらぐうたらしてすべて忘れるという逃避行動が取れたので心が救われていたのだった。

 そういうわけで、ついに私も人並みに神経衰弱になった。といって、なんとかしなければならない。一人ではるかな峠道を越えたりすればなにかあるだろうか。