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ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

病室の花

 7年間暮らした京都をついに去ることになった。

 18日には部の奴らであけぼのに行った。もはや見飽きた顔達(向こうも同じように思っているだろう)だが、これからはそうそう見られぬことになる。あけぼのももう閉じてしまうので、学生の間に一回行けて良かった。

 19日、20日と引っ越しの準備をしていたが、家具があまりに貧相な割に、本やCDが多すぎて我ながらビックリした。そんなわけで結構な量の本を譲渡したり、本の代わりに服を捨てまくったりして忙しく働き、ようやく準備が整ったのは20日の深夜27時だった。ダンボールに囲まれながら、ガヴリールドロップアウトなど観てビールを飲んでいた。こんなことでも感慨深かった。

 21日にいよいよ荷物の搬出であった。カラッポになった部屋を見て、今更ながらこんな小さな空間を自分の天地にしていたんだなと思った。六畳一間というのも不思議な空間で、私はこのスペースを狭いと思ったことがほとんど無い。それどころか、たまに底知れぬ深さを感じたりもしていた。ここは私にとっての小宇宙であった。なんだそれ。夕方、手伝いをしてくれた部の後輩の一人といつもの味○に飲みに行った。と、マスターにいきなり名刺入れを渡された。卒業祝いとのことだった。驚いた。嬉しかった。この日は初めてステーキを注文したが、とんでもなくおいしかった。また来なければなと思う。

 家に帰ってから、寝袋にくるまり最後の晩酌を噛みしめていると、後輩が三人やってきた。もう最後だからということで訪ねようと思い立ったらしい。玄関でしばらく立ち話をして別れた。その時は驚きのほうが勝っていたが、一日立って思い返すとありがたさが募るし胸が苦しくなる。その晩は27時過ぎまで一人でしんみりと飲み続けた。過去、この下宿で本当によく一人で飲んだ。他人と飲むのも(相手によるけど)好きだが、多くの場合それはいくらかの緊張感や疲労を伴う行為である。完全にリラックスし、心が休まり、ゆっくり物思いにふけったり、くだらぬことを考えたりするのは、やはり下宿で一人で飲む時であった。これは一生変わらないと思う。

 22日朝、鴨川を見に行き郵便局に寄った後、部屋の点検があってこれにて下宿を退去することになった。下宿のすぐ近所にある酒屋に挨拶に行った。ここは私が二回生の頃から通い続け、数えきれないほどのビールや金麦を買った場所だった。この店のせいで飲酒が捗りすぎたような気もする。生ビールチケットが余っていたので一杯頼み、残りのチケットは店で預かってもらった。またビールを飲みに来なければならない。裏の公園で飲んで、ここらへんともしばらくおさらばだなと思って出発した。昔を思い出しつつ哲学の道を歩いていると、業者から電話がかかってきて、粗大ごみに貼りつける券が足りないから買って貼りつけに来いと言われた。そんなわけでせっかく気持ちを固めて出発したのにまた下宿の前に戻るはめになった。それからは本当にお別れで、平安神宮知恩院に寄り、木戸孝允の墓に参って名古屋の実家に帰った。

 

 7年間はさすがに長かった。小学一年生が中学生になっている長さである。今の一回生は私が入学した2010年にはまだ小学生である。京都に住みたくてこの大学を選んだので、ある意味しあわせであった。

 京都が快適だった要因は、街と川や山との距離感であったと思う。文化財がいっぱいある街なら他にもあるだろうし、ただ自然が豊かな場所ならいくらでもある。京都はその両者が一体となって独特の雰囲気を形成していた。ちなみに2010年2月、大学受験のために京都を訪れたときに書いた日記によると「京都に着いて、まずうれしいのは、遠くに山が見えることだ。そして、高いビルが無いから街に開放感が溢れるところとか、賀茂川(注:鴨川)が穏やかに流れているところなども、やはりうれしいことだ。」とのことらしい。

 学生生活において最も重要だったのが部活動である。役に立つことも役立たずなことも学んだ。しかしこれはあまりに内容が膨大なのでここでは省略する。ただ、よみがえってくる7年間の思い出は9割以上が部活関係である。

 どくとるマンボウ青春記という本がある(著:北杜夫)。学生生活のなかで最も親しみ、ふとした拍子にお気に入りのページを開いたりする本である。最初に読んだのは一回生の夏、知床に行くために乗っていた舞鶴-小樽のフェリーの中であった。私はいたく感動し、こんなバンカラで、一方で思索にふける学生生活を送らねばと思った。しかし振り返ってみると、私はこの本に述べられているうちで感傷的な面ばかりが身についてしまった。この日記を読めばわかるとおりだが、これだけ感傷的だと、引っ越しをするだけで心が痛んで大変である。ところで青春記には色恋沙汰が北杜夫氏の体験としては全然出てこない。出てくるのは男と自然ばかりである。この点については私もまねすることができ、思い出の中に登場するのは男と山ばかりである。

 以下、若かりし頃の北杜夫氏が松本を出る際に書いた詩の一部を引用しておく。

この街は。おれの稚さが住んだ街。そりやあ懐しさは湧くだらうよ。悔しさはつきまとふだらうよ。むさぼり眠る汚なさの。ごみごみとした愛情の。あとは知らぬといふだらうよ。街は緘黙。喪心に四方は回転。

 

 さて、他にも色々と思うところはあるが、とりあえずここまでにしておこうと思う。

 ひとことだけ付言すると、様々なことがあった。