ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

変化

 ちょっと前のこと。うちの研究室の正面にある部屋の、部屋番号が書いてあるところに部のhatiemon先輩の名前があり、助教授と書いてあった。前期は別の研究所に行ってたが今期から助教になって帰ってきたらしい。めでたい。それを知った同期の茶碗先輩はお祝いに飲み会を開いたが、haitemon助教授は忙しかったのでなぜか本人抜きでお祝いすることになり、結局部室で麻雀となった。hatiemon氏の一個下で同じく助教授の比呂氏もいらしたが、未だに月25,000円の部屋に住み部屋にネットは無く、趣味はジョギングとノーレート麻雀のみ、生活リズムはめちゃくちゃで、「学生時代となんも変わんね~~!!!ぎゃはははは」とおっしゃっていたのが印象的だった。3時前くらいまで打ち解散し、下宿に帰る前に吉野家で牛丼を食べてると、明け方まで打って吉野家で牛丼食べてから帰宅して昼まで寝て、大学は休む、ということを頻繁にやっていた往時を思い出した。


 日曜日に後輩cedarと大原の金毘羅山に行った。またお前か……と、向こうも思っていることだろう。登攀練習をしたが全然成果が上がらず残念だった。帰り道で新歓の話をした。まともな奴を少数入れるのが理想的だが、私の上は毎年一人とか二人しか部員がいなくて困っていたのでバランスが難しい。ちなみに汚いグループに入った女子は今年で消えそうらしい。そらそうや……。

 

 それから義姉が出産するという事件があり、月曜日には名古屋に帰った。まぁ、みんな健康でめでたしめでたしだった。赤ん坊は小さかった。こうして世の中は進歩していくんだなぁ……となぜかそんなことを思った。
 不思議な感慨にふけりつつ電車で京都に帰っていた。車窓からの景色はいつも通り広々と爽やかであった。田んぼが黄色くなってきている。2010年の3月に京都へ越して以来、何度も何度もこの平野を通った。時に楽しい気分で、時に悲しい気分で。しかし今の私の心境で言えば、その過去はいずれにせよ祝祭に似ていた。この間、人が死んだり人が生まれたり色々なことがあった。東京に越してもまた、この道を通り京都に来る機会はあるだろう。が、その時の京都は帰る場所では無く、私は単なる外来者である。

 終わり。