ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

小さき疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドランク)

 なぜか最近の記憶の時系列が曖昧になっているのだが、手帳によると4日土曜日には両親が京都に来た。貴船の川床で料理を食べた。川の真上なのでやはり涼しい。というか寒い。がくがく震えながらビールを飲む。普段は沢のただなかで柿Pをもしゃもしゃしたりしているが、多少おもむきが異なりこれも良いものだと思った。やはり兄の結婚の話題が多く、兄がまっとうな人生が歩んでいる一方で僕はこんなで良いのかという感じもあったが、勉強に関しては僕の方ががんばっているので良い。良いのか……? その後研究室を案内する。これを見越して机に難しそうな本をいっぱい積んどいたがどれだけの意味があったかは不明である。

 7日火曜日にはゼミで発表した。どんなひどい凌辱を受けるかとvery nervousになっていたが、幸いあまりひどい目には会わなかった。これは別に発表のレベルが高かったからではなく、あまりに中身がすかすかだったので突っ込みようが無かったという理由があるので注意が必要だ。D1のridge様によると「too rough...」とのことであった。それと関係あるかはわからないが、ridge様がそのあと学校の短冊に「研究室にまともな学生が入りますように」と書いておられたのが印象的だ。

 さて、9日木曜日から鹿児島に行ってきた。鹿児島の某大学演習林で西日本りぎょpypypy会が開催されるので行くことなったのだ。その日の昼から謎のゼミがあり、終わってすぐにridge様と2人で大阪南港に向かう。なんとか志布志行きのフェリーに乗りこむことに成功した。フェリーに乗るのは数回目だが、やはり船旅は気持ちいい。酒を飲むか本を読むくらいしかやることが無いところが良い。特に好きなのは京都から北海道に行くフェリーで、昼間全然やることが無い点が良い。また、今回は事前にどくとるマンボウ航海記を読みかえしていたのでちょっとわくわくした。我々の大学からは僕の研究室から2名、別の研究室から3名が参加した。OBも来てフェリーでさっそくみんなで飲みだすが、太平洋周りだけあって相当揺れる。揺れで酔ってるのか酒で酔ってるのか意味不明になる。2人ほど船酔いで死んでいた。甲板で寝ようと思って寝袋を持ってきていたが、波が激しすぎて外に出られなかったのが残念だった。フェリーはがらがらだった。翌朝、志布志港についた。

 西日本りぎょpypypy会自体は10日の昼から始まる。初日はexcurisionということで近くの森を歩いた。前を歩くおばちゃんは誰だろう職員かなと思っていたら実は某大物教授だということがあとで判明した。その後近くの村を歩きそこの人の話を聞くが、なんでも薩摩芋に相当のこだわりがあるらしい。ひどいことにその話の内容は大体忘れてしまったが、焼き芋と芋プリンを食べさせていただいたので感謝している。夜は懇親会で酒がいっぱい出てきた。先ほどの教授や色々な方と話せてとても楽しかった。僕のようなナメクジの話をまじめに聞いていただきありがとうございました……。1時くらいに寝る。

 翌日は朝から森×♪合の話を聞いたり志布志港に戻ってデカマラ輸出の話を聞いたりするが、フェリーに乗って脱走したい誘惑に囚われた。やたら疲れた。夜は相変わらず懇親会がある。と、ここで金麦がいっぱいあることに気付きテンションが上がった。金麦自体はともかく(好きだけど)、それについてるシールがほしかったのだ。クーラーボックスとかにあるシールをはがしまくっていたので相当異常に見られたかもしれない。他にほしい人がいたら山分けしようと思っていたがこんなことをするのは僕だけであった。結局シールは20枚以上集まり、鹿児島の一番のお土産となった。学生証にぺたぺた貼りつけておいた。3時くらいに寝る。部屋が意味不明な布団配置になっており寝る余地が無かったので講義室で寝袋に入り寝た。

 最終日。朝ごはんを食べていたら職員の方に金麦シールをもらった。ありがとうございます……。今日は研究発表のお楽しみ(?)の日である。意味不明な質問をしてしまいすみませんでした。昼ごろ、いよいよ解散となった。片付けの際にあまりの品が放出されたので淡麗を6本と菓子パンをいっぱいもらった。お世話になった方々に挨拶をして別れた。鹿児島まで某大学の人に車に乗せてもらう。垂水まで来てフェリーで西に渡って、雲に巻かれる桜島が見えると、今更ながらここは鹿児島なんだなと思う。この日の晩はビジネスホテルに泊まったのだが、学割のため学生証を出したら金麦シールで両面が埋め尽くされておりなんの証明にもならなかった。

 翌日、霧島神宮に行く。ものすごい雨であったが、これはこれでなんとなく楽しい。霧島神宮はなんでも日本発祥の地らしい。日本発祥がどんな意味かはよくわからないがそういうことらしい。その後鹿児島に戻って京都に向かい、夜に下宿にたどりついた。

 今回は同じ研究分野を学ぶ人々と話すことの楽しさを味わえて大変良かった。知識の共有にとどまらないパワーを感じた。引きこもって一人で机に向かっていてはわからない感覚である。そう、研究とはそうあるべきなのだ。どうしてどこまでも一人きりで脳みそをぐにゃぐにゃにする必要があるのだろう、心底そう思った。しかし……京都に帰った翌日、ゼミに出る前に研究室に入った僕を包んだのはあの陰気な空気であった。すっと自分の心が冷えていくの感じた。薄暗い藪や坂のある路が、細細とひとすじ断続している。……

 

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↑ 僕の列は僕のみ、向かいは0人(フェリー)

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↑かわいらしい魔羅(初日)

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↑デカマラ。輸出されるデカマラ(志布志)

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↑演習林から

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↑うむ……(霧島神宮)

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↑ご神魔羅(霧島神宮)