ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

 出町柳駅のちょうど西で賀茂川と高野川が合流し、鴨川となる。その二俣のデルタのすぐ下流、川幅が広くなっているところに飛び石が配置してあり、川を渡れるようになっている。

 一昨日の昼下がりに、なんとなく川を眺めていた。河原の東に柴犬とリールを持ったおばさんがいて、おばさんはひょいひょい石を渡って行くが犬はついていこうとしない。するするとリールが伸びていきやがていっぱいになると、飼い主は石の上で立ち止まる。犬はしばらくぷるぷるして躊躇していたが、やがて意を決したようにピョンピョンピョンピョンと勢いよく石を飛び越えていき、飼い主のもとに至る。飼い主はまた渡りだすが、やはり犬はその場でうずくまり、リールがいっぱいになるとまた意を決したようにピョンピョンピョンピョンとついていく。そんな風にだんだんと一人と一匹が川を渡って行くのだった。

 その日は前日までの寒さがだいぶ弱まっていた。川沿いの桜のつぼみは膨らみ、もう咲いているものもあった。今日高瀬川まで行ったらきれいに咲いていた。長野旅行から帰ってきたら鴨川もきれいになっていることだろう。

 

 今まで四度、京都で桜を見てきた計算になる。ただ、桜の咲いている時期のことをあまり覚えていない。悲しいことだし、残念なことだと思う。それなりに節目となるであろう時に、特になにも意識せずにぼぅっと過ごしてきたと思うから。なんとなく年が変わって行くことが多かったと思うから。毎日毎日、犬やスズメを見て、空や川を見てその時その時をへらへらしている僕は、一方で懐古厨の面も強く、古い記憶を時々取り出してにやにやすることを大切にしたいのだ。思い出せることが無いというのは寂しいことだ。

 唯一記憶に強く刻まれているのは、一回生の春の時である。最初の下宿は哲学の道沿いであった。ここは実はすごい桜の名所であり、春には観光客の数も並大抵のものではない。その日僕は名古屋から越してきて、人ごみを掻き分け下宿にたどりつき、こんな観光地の真ん中で暮らすことに愕然としていた。部屋に入ったら、風呂ありと聞いていて確かに風呂桶はあったがシャワーが無くてお湯が出ないのでさらに愕然とした。夕方、一緒に来ていた親は帰り、一人になった。ちょうど桜が大変きれいな時期だった。色々意味不明なことだらけ、不安なことだらけだったが、観光客に交じりつつ近所を歩きながらきれいな桜を見ていると、まあなんとかなるだろうしそんなに悪いことにはならないだろうと思った。なにせこんなに桜がきれいだから。京都だから。2010年の3月、5年前のある日のことである。