ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

あけましておめでとう2015!!

 年末年始は名古屋に帰っていて、3日に帰ってきた。平凡な正月と異端な正月とに分けるとしたら、間違いなく平凡な正月だった。

 

 まず、高校時代の友人たちに会った。我々は留年だったり浪人だったり6年制だったり院進だったりで誰も就職してないしその見込みも無かった。こういう大切なことは親にも積極的に伝えなければならない。高一の時の様々なエピソードが飛び出ておもしろかったが、その時の担任が今年度でおやめになるらしい。その先生は二回離婚しておりキャバ嬢と再婚したという噂が広く信じられているが、真偽は不明である。

 ヤンキーなどいない割に無秩序に向かって突き進むクラスで、みんな適当にゴミを床に捨てる上に掃除係があんまり機能していなかったので、教室がやたら汚かった。自分の周りにゴミが多いと教室の端に向かって蹴飛ばしたりする。担任も基本的に無気力な人でそんなこんなもスルーしていたが、たまにゴミを拾ったりしてた。今考えるとあの先生には大変申し訳ない。クラスの個々人を見るとそんなに暴走しそうな感じでは無いように思えるのだが、内部進学の奴どもになめられてはならぬという意識が共鳴した結果、強力な音波のごときものが各自の常識を破壊したのかもしれない。

 

 小学校以来の友人たち2人と会い、留学1年の奴は就職決定、留年1年の奴はNNTだった。がんばって生きてほしい。小学校・中学校時代の人々で連絡を取るのはもはや彼らだけとなっている。成人式にも行ってないし、僕はそろそろ進路の謎な奴、生死すらも謎な奴として、やがて大多数に忘れられていくのかもしれない。なかなかいい。

 

 親や親戚たちからは特に罵倒されたり殴打されたりすることもなく平和だった。良かった。兄がまあまあまっとうな道を歩んでいて僕についてはさほど期待はされていない気がするし、実際家族を喜ばせるような進路を進める気はあまりしないけど、それでもあまり悲しませるような目に合わせてはならないなと、そんな当たり前のことをなんとなく思った。あと兄の結婚話が現実味を帯びてきているっぽい。兄や友人に関してそういう生々しい話が出てくるとなんとも言えない気分になるが、当然祝福するべきではある。私は私の道を作るんだ、どうもありがとう。

 

 

 ところで、正月は以前にはなぜかモロッコで過ごしたこともあったりしたが、大学に入ってからは基本的に実家でボウっと過ごしてばかりだ。例外は2013年の正月、僕が3回生後期の時である。ちょっと印象に残っているので記録しておく。以下、特にオチの無い話で申し訳ない。

 

 その時僕は留年が確定していたが親には黙っていて、しかも就活しているということになっていた。とても実家に帰る気分では無く、適当な理由をつけて下宿で年を越した。それで3日あたりの夜に部室で麻雀を打った。その時のメンツは11世代上の杢氏及び極悪様、6世代上の秘魯氏、あと3回生の僕とMT。その先輩たちは過去に結構無茶な計画を出したりしていて、その時の苦難の記録が心に響く。その3人中2人が研究者で、なんとなく迫力がある人たちだ。

 つらいことはあまり考えないようにしつつ楽しく打っていた。負けたり勝ったり負けたりしつつ、と、サイレンの音が響き、それはすぐ近所で停まったようである。しかもなんだか妙に騒がしい。麻雀を中断して見に行くと、なんと新部室棟のすぐ近くにある旧部室棟が燃えているので大変ビックリした。僕が入学する一年前に新部室棟に移ったのだが、荷物の片付けなんかで旧部室棟にも何度か入ったことがある。すごく汚らしく、なんというか自治寮みたいなところで、でかいダンボールを持ちあげると虫がわらわら逃げていったりする。

 みんなで燃える様子をしばらく眺めていたが、先輩たちが「もういい、早く打とう」と言いだしたので見物はやめた。旧部室で長い時間を過ごしたはずの先輩たちが全然惜しんでいる様子が無いのが、ちょっと寂しくしかし妙に納得し、なににも勝る麻雀欲が伝わってきた。そして彼らは平然と部室に戻り、あまつさえ「もうええやろあれは」「解体する手間が省けたな。良かったよ」などと暴言を発していたのが印象的であった。

 しかしMTがなかなか戻らなかった。僕が見に行くと、サイレンを聞きつけ騒ぎに寄せられ、すでに人が結構集まっていた。とは言え正月のことであまり大人数の混乱も無い。MTはその中に混じり、旧部室棟が燃え続け、消防隊が消そうとしていたがそうは簡単に消えなくて、炎が夜空を微妙に照らしながら依然燃え上がり続けているのを多少茫然としたように見ていた。ミイラ取りがミイラになって一緒に見物していたが、しばらくして秘魯氏がやってきておっしゃった。「そんなのいつまで見てんだ!?対局中だぜ!?」と。なぜだかこの一言がすごく面白かった。その後は何事も無かったかのように朝まで打ったはずである。

 

 後日聞いたところによると、旧部室棟内で爆発が起こってそれで炎上したらしい。一体なぜ爆発が起きたのか、どんな規模の爆発なのか、そもそも爆発が本当にあったのか、本当のところはなにも知らぬ。炎上のあとすぐに解体が始まり、春にはもうすっかり無くなっていたような記憶がある。

 その跡はずっと空き地のままとなっていて、旧部室棟の面影も残らず、雑草が思うまま生い茂っている。暇な大学生がそこでバレーボールをやってたりする。たまに雑草の中になにかの残骸のようなものがある。それが旧部室棟の残骸なのかはわかりようも無いが、ちょっとあの夜のことを思い出し、そうであれば楽しいなと思う。