ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

ふふふ

 去年の振り返りをしたいと言いつつもう8月になってしまった。もはや去年の自分と意識を共有することが難しくなっている面もあるが、今後院試を経ると意識の断絶がさらに大きくなりそうなのでとりあえず書いておく。

 

◆1月-3月

 3回生後期、いくらか単位を取れば4年で卒業できる可能性があった。とりあえず大量に履修登録をして迎えた半期だったが、将来の目標も無く当然授業にも出ず、留年確定だと悟ったのであった。

 ただ、なんとなくゼミに関係した雑誌を読んでいるうちに、この分野をちゃんと勉強しようと思った。それでなぜか院に行くことにしたが、そこらへんの機微は今となっては謎である。留年は決まったが、爽やかな気分であった。とりあえず2月に簿記3級をとっておいた。

 春休み中、親には就活してますと言って実家にもろくに帰らず進路のことは黙っていた。と、3月末になぜか向こうが京都に来た。南禅寺の前の豆腐屋で食事をしながら、単位が無いことも就活してないことも話した。申し訳なさにもまして情けなさやら虚しさやらを味わったこの時の情景が、まだ寒々とした空やどこか茫洋とした南禅寺三門とともに、印象的に心に刻まれたのである。

 

◆4月-7月

 農学部の授業を取ることにした。スペイン語がまだ残っていて4コマありしかも教師が特に厳しい人であったので、精神的にも物理的にも余裕が無かった。あとはなんとなく簿記2級をとったが結構時間がかかり、専門科目もたくさんとっていたので色々わけのわからん感じであった。酒だけはがんばって飲んでいた記憶がある。

 テスト期間はなかなか大変だった。そこそこまじめにやったわりにポコポコ専門の単位を落とし、4年目にして単位を取るにはどうしなければならないかがなんとなく分かってきた。

 

◆8月-9月

 夏休みである。前期の間で疲れてしまい、多分だいたい下宿でボーッとしていたと思われる。あまり記憶に無いが本当になにを考えて暮らしていたのだろうか?

 9月末、白馬岳から日本海まで歩いた。標高約3,000mから0mまで歩くと言う行程で、やたら長かったというのが一番印象的だ。際限無く晴れ、暑かった。下山地点の親不知ではとりあえず海に浸かっておいた。海は荒れていた。なんか茶色かった。高校の頃から一度歩いてみたいコースだったので満足した。良い山行であった。

 

◆10月-1月

 この時もそれなりに農学部に行った。だいぶ進路が固まってきた記憶がある。それもあって精神的に安定していた。よって平和に暮らしていたので書くこともあまり無い。一応試験期間はそこそこ大変であった。正月は謎の高熱が出て下痢したり嘔吐したりできつかった。スペイン語がめちゃくちゃ楽になった上にグループがきもくて楽しかった。

 まどマギを見たり攻殻機動隊を見たり、あとは同人イベントに行ったりしてそれなりにニコニコしていた。特に事件は無かったけど、まだ院試の圧力も無かったし、けっこう幸せな生活であった。

 

 

 他にもいろいろあったはずだが思いだそうとするとなかなか浮かばない。やはり普段からこまめに日記を書いておくのがいいようだ。

 苦労した期間のほうが印象に残るしあとから振り返った時に楽しい。しかし苦労していない期間は、少なくともその時は平和であったことは確かである。どちらが良いかはなんとも言えないものがある。

 また、自分はけっこう長いスパンでhighの時とlowの時が訪れるようである。1回生~2回生前期はhigh、2回生後期~3回生後期はlow、4回生~はhighである。まあhighと言っても、下宿に引きこもって完全昼夜逆転生活などはあまりしないという程度のhighではある。

 

 さて、院試が19~21日にある。しばらくツイッターはてなも更新しないことにしようと思う。更新してなくても多分死んではいないので、安心してほしい。