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ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

アブラゼミ

 今年度最初のゼミがあった。

 理由は分からないが新人がけっこうたくさんいた。追加募集をかけて入ってきた連中であるので、当然まともな人間はいないようであった。

 一回目のゼミということで、上回生は恒例の書評(読書感想文)の発表があった。なぜか僕だけやたら(相対的に)気合いが入った書評で浮いていた。しかも新人たちにそれぞれの書評に点数をつけさせて総計したところ、下から二番目であった。ちなみに取り上げたのは「社寺と国有林」という本である。

 

 あとは特に書くことも無いので、進路について書いておく。院試を受ける。農学の研究室に行く。具体的には林業を社会科学の観点から研究する。

 僕は経済学部生であり、農学研究というのはまあそれなりに異質な専門分野である。一留の上に院進してしかも林業というボロボロの産業を専門にするということで一族郎党からは心配をされているし、また僕自身このような選択によって将来どんなことになるのかあんまり予想できないけど、案外なんとかなるだろうと思う。

 

 ところで、最近「神去なあなあ日常」という本を買った。まだ読んでないけど林業がテーマでそれなりに売れてる小説らしい。僕も将来林業に関連するラノベかなんか書きたいものである。若者に媚びて、美少女が林業をする話なんかがいいと思う。夢と希望を持って林業に就職した主人公を待ち受けていたのは悲惨な現実だった。貧弱な社会保障に不安定な給料、日本の産業とは思えない異常に高い死亡率、コネと利権とムラの論理でがんじがらめの社会。毎晩へろへろになって家に帰ってきてビールを飲んでいる時にだけ幸せを噛みしめる生活。フラフラの頭で布団に倒れこんで考える。生きるってなんだ。存在ってなんだ。認識ってなんだ。認識があるから実態があるのか。すべての存在と認識は不可分だし、そして認識と偏見も不可分なものである。すべての科学は偏見によって規定されるものであると考える。科学の発展とは「純粋に客観的な」データの単なる積み重ねではなく、フレームワークの再構築なんだろう。我々がなぜ一般教養や専攻外を勉強するかということの理由もそこにある。当然役に立たないこともいっぱいあるんだろうが、それでも専門から外れる諸理論を学ばねばならない。我々が大学生であって専門学校生では無い所以となることである。