ハイマツ帯

たまに更新できればいいな

簑虫と蜘蛛

 色々あって九月になった。風が涼しいし、虫の声がリンリンになってるし、今日玄関を開けたら廊下でセミの死骸が風にゆらゆら揺れていた。だんだん気温が下がっていくのが楽しみな季節である。

 この間ぼちぼち忙しかった。国の偉い人から社長に命令が下り、社長から部長に命令がくだり、なぜか部長と私の二人で二か月くらいずっと作業をしていたわけだが、それも24日の会議でとりあえず一段落した。私は会議には出席できないので無事終わるのを祈るだけだったが、部長がニヤニヤしながら帰ってきたのを見て安堵した。あんまり報われない仕事だった気もするが、部長から「そういえば社長が貴様の資料ほめてたよ。ひひひ」とぼそっと言われ、それでまぁ良かったかなという気になったので我ながらちょろいなと思った。

 

 25日から夏休みとなり、大学の後輩どもと奈良某所の沢に行ってきた。26日の夕方に京都に着き、21時に部室発。東山通りを南下していくとあけぼのの灯りが見えた。この日が最後だったので、多分常連の人たちがいっぱい詰めかけていたんだろう。深夜に入山口の近くに着いて仮眠して、遡行開始。本流だけあって水量が多く楽しかった。それなりに死にそうなところもあって久々にドキドキした。やはり沢は楽しいなぁ。16時半頃に下山後、車まで林道歩きが10数kmあってやれやれという感じだったが、後輩がバイクのヒッチに成功したので車を取ってきてもらった。ヒッチの経験は何度かあるがバイクが止まってくれたのは初めてである。王将に寄り、深夜に京都に帰りついた。

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 休み明けの出社初日、大きい仕事は終わったししばらく平和かなと思っていたところ、課長に一か月後に謎の国への出張を命じられた。結構でかい会議で、しかも役員のお世話の仕事もあって重い案件である。何かしら降ってくるとは思っていたが、一番きついのが来るとは……。

 

ちんぽちんぽちんぽ

んぽんぽちんぽち

ぽちんぽちんぽちん

ちんぽちぽちんぽ

んぽちんぽちぽち

ちんちんぽちん

んぽちんちん

ぽちんぽち

ぽちぽちぽち

春六題

 この間様々なことがあり、次第に生活が厳しくなってきている。

 実生活が殺伐とするにつれてブログを書く気力も無くなってすっかり日数が経ってしまい、そろそろ皆様にも忘れ去られてしまった頃であろうと思われる。

 

 仕事は一言で言うと無茶苦茶愉快で虚しいという感じだろうか。特にお盆の前はあまり睡眠時間が取れない感じであった。徹麻で鍛えておいて本当に良かった。今やってる意味不明の仕事は今月24日の謎の会議で一段落するはずであり、そこから私の夏休みが始まることになる。

 忙しいと言っておきながら、7月には京都に戻ってあけぼのに行った。しかも大人の事情で二回も。いつも通り値段が不明の瓶ビールをみんなでガバガバ飲みながら、いつまでもこのぼろぼろの座敷を心に留めておきたいなとぼんやり思った。

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 仕事も私生活もあまりよいことはない。いろいろあったがめんどい(と言うか記憶が曖昧)のでもう終わってしまう。

春寒

 今住んでる下宿は形態的にはマンションに分類される。そのせいかどうかは知らないが防音性が高く、周りの生活音が聞こえることがまったくないし、窓を閉めれば車の音も聞こえない。まぁ、私の周りの住人がみんなごく静かに生活してるだけの可能性はある。

 京都時代の下宿はアパートだったので周りの音がよく聞こえた。2013のWBCの時とかは他の住人の拍手の音が聞こえてきたりした。普段は静かなのに時々異常に奇声をあげる住人もいた。上の階の住人はたまに人を呼んでパーティーしてて騒がしい時があったが、こちらも一人で早朝まで飲んでいて彼らが帰っていってしんとすると、なぜか祭りの後のような感覚を覚えたりするのだった。窓を閉めても防音性がいまいちで、変な集団が何かを唱えながら早朝歩いていくのが、部屋の中までたまに聞こえてきた。

 

 この間、様々なことがあった。

 六月前半に謎の試験があった。受かったところであまり私の人生の影響を与えそうにないが、まぁ少しだけ箔がつくかなという感じの試験である。多分受かったと思われるが、合格発表日も発表方式もわからないのでなんとも言えないものがある。

 六月後半に謎の試験があった。こちらは受かると人生に多大な影響を与えるが、まともに勉強した期間が一か月に満たないという状況で、感触としては順当にいけば落ちただろうが運が良ければ受かったかな、という感じである。某k大経済学部の期末試験で例えると、試験数日前から焦ってそれなりの準備をして、試験当日にはまぁそれなりに正解っぽいことを書き、まぁ60点くらいはとれたかなと思ってたら結果は50点だった、みたいな時と同じような感触である。落ちて元々だと思っているので、あまり気にせずにいきたい。

 

 ここ数週間はそれなりに無茶苦茶きつい時があった。しかも思い返してみると、特にこれがきつかったということがなく漫然ときつかった。沢で例えると、結構な傾斜の藪の巻きで、特に難しいところはなくても危険で気が抜けず、しかも長くてしんどいという感じである。そういうわけであまり書けることもない。こうして季節は過ぎていくのである。

 

 今週末はラストあけぼのに行くために京都に帰る。

球根

 様々なことがあったのだがblogを書く余裕が無くて書いてなかった次第である。

 この間オフ会に何度か呼んでいただきありがとうございました。某フォロワー(p氏)によるとtwitterはpairs以上の出会い系ツールであり、生ハメSNSとして本来の力を発揮するとのことであった。こんなことは会社では学べないことであり、教えていただきありがとうございました。

 

 けっこう前のことだが、GWに大学の同期(アラビア語仲間かつ山仲間かつ留年仲間)の結婚式があり山口に行っていた。結婚式もなかなか良いものだと思った。皆様も一度くらい結婚してみてはいかがだろうか?
 帰りに京都に寄って部の後輩たちと南紀の沢に行った。帰りに南紀の穏やかな町で温泉に入ったり刺身食べたりしてほのぼのしてたら、なぜか精神が不安定になった。

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 会社については特に良いことが無いが、楽しいことは無いが、新人なので仕方ないが常に監視されているような気分である。そういうわけでだんだん何も言えなくなってきた。もっとも私はほっとくとめちゃくちゃなことばかり言うようになるので、必ずしも悪い状況でも無いと言える。

 

 最近はまっとうな人生を歩みすぎていると思うので、もう少し破綻しても良いような気がしている。

今日、また俺は一日を棒にふった。人生は棒にふれ。しかし一日はもっと大切にすべきだ。

 

芝刈り

 なんとも言えない日々が続く。

 研修も終わり配属され、ようやく仕事らしきものが始まっている。私の所属は性器部陰嚢課というところで、日本軍で言えば参謀本部か軍令部あたりだろうと思われる。

 研修では当初、なるべく協調外交的な態度で挑んでいたが、当然途中でめんどくさくなり、結局は孤立気味になっていた。やむを得ないことである。とりあえず1か月終わってみて点数的には13,400点といったところだろうか。ここでどうでもよくなって初手からいきなり降りたり、なんとなくオタ風を鳴いたりすると、大体負けが確定するので注意が必要な状況である。

 

 ところで先日、大阪と神戸に泊りで研修の出張があり、それ自体は特になにも無かったが、金曜日の夕方から京都に寄った。味〇へ行ったあと、あけぼのへ移動して部の者どもと飲んだ。その後は部室で早朝まで飲むなり打つなりして寝たが、結構な人数が気絶していたせいでなんだか壮観であった。

 翌日、7時ころに起きて岡崎のほうに散歩に行った。ここらへんは人があんまいなくていつも楽しい。金戒光明寺のあたりをぶらぶらしていたらおじさんにここの山門はすばらしいんじゃよと話しかけられた。真如堂は花盛りでとんでもなくきれいだった。吉田山は新緑で気持ちよかった。町をぶらつきながら、自分はもうk大生ではなく単なる外来者として蹌踉と歩いているのだなと思った。丸太町で紅茶を飲んで東京の下宿に帰った。終わり。

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 そういえば真如堂でおみくじを引いておいた。

〇悦事なし

〇待人来らず

〇病人長引あやふかるべし

〇争事まけなり

〇生死は十に六七は死すべし

 

 つまり、漫然と生きていても仕方がないという運命が暗示されている。